半坪ビオトープの日記

鳳来山東照宮


豊田市香嵐渓から東に進み、静岡県との境に近い新城市鳳来寺山に向かう。鳳来寺は表参道の石段が1425段あり、徳川家光により建てられた仁王門を見ながら登るのは時間が足りないので、東南から鳳来寺山パークウェイにて山頂駐車場まで車で上る。標高約360mあり、あたりは紅葉真っ盛りであった。

蓬莱山東照宮に向かって見晴らしのよい遊歩道を進むと、まもなく正面に鳳来寺山が見えてくる。鳳来寺山は松の緑に覆われているが、道の脇には真っ赤な紅葉が鮮やかに燃えている。

左手には深い谷底に門谷表参道の家並みが見下ろせる。家並みの手前から右に石段を登って、表参道は鳳来寺に向かっている。

標高695mの鳳来寺山山頂は、瑠璃山とも呼ばれる。「声の仏法僧(コノハズク)」が生息することで知られ、国の名勝及び天然記念物に指定されている。山頂のすぐ左手に奥の院があり、すぐ右手の大きな岸壁は鏡岩という。鏡岩の少し下に鳳来寺の鐘楼の屋根が小さく見える。

やがて杉の大木が林立する薄暗い境内が見えてくる。東海自然歩道の案内板があり、大野からの登山道や湯谷温泉から湯谷峠を通ってくる登山道も表示されている。

鳳来山東照宮は、日光・久能山と並ぶ三大東照宮の一社を称している。石段の周りには杉の巨木が高く聳えている。

石段を上ると石鳥居の先に石柵の玉垣(折曲り延長約76.5m、国重文)が巡らされ、その中に拝殿が建っている。東照宮は家康を祀る神社であるが、その関係は家康生前に遡る。「東照社縁起」によれば、家康の父・松平広忠は、天文10年(1541)に正室・於大(伝通院)との間に子が出来ないことを憂い、祈願のために夫妻揃って領内の鳳来寺に参籠したところ、伝通院が東方より現れた老翁に金珠を与えられる夢を見て、間もなく家康を懐妊したという。
慶安元年(1648)日光東照宮へ参拝した折に改めて「東照社縁起」を読み感動した3代将軍家光が、鳳来寺本堂修復と薬師堂の再建を発願、合わせて新たに東照宮の創祠を計画し、造営を進め、後を継いだ4代将軍家綱により慶安4年(1651)に社殿が竣成、江戸城内紅葉山御殿に祀られていた「御宮殿(厨子)」と御神体である「御神像」を遷祠したのが始まりである。
拝殿は桁行3間、梁間2間の入母屋造で、正面に1間の向拝を設け、鬼板・烏衾を置く。屋根は桧皮葺、慶安4年の造営で、国の重文に指定されている。

主祭神はもちろん徳川家康東照大権現)で、「鎮守3社」と称される山王権現熊野権現白山権現を合祀している。

拝殿の裏手にある本殿は、桁行3間、梁間2間の入母屋造で、1間の向拝を付け、屋根に千木を置く。本殿正面に1間平唐門の中門があり、中門から左右に透塀の瑞牆が本殿を囲んでいる。屋根は桧皮葺、慶安4年の造営で、国の重文に指定されている。

本殿内陣に納められた宮殿は、入母屋造妻入黒漆塗で、軸部や組物に金物を多く打って壮麗である。柱は円柱、粽を付け、中ほどに葵紋の金物を押す。頭貫、台輪を通し、詰物で組物を置き、二軒、木瓦葺とする。内部は黒漆塗、鏡天井で、浜床を置き帳台を立てる。螺鈿、蒔絵を施した手の込んだもので、中に神像を納める。
本殿内部は見学できないが、外回りだけでも豪華絢爛で、虹梁・木鼻などの彫刻は見応えがある。

拝殿背面中央には桁行2間、梁間1間、切妻造妻入の幣殿が角屋状に接続している。