半坪ビオトープの日記

香嵐渓、太子堂


松平郷から同じ豊田市足助町にある香嵐渓に向かった。江戸時代、足助は尾張三河と信州伊那谷を結ぶ伊那街道(中馬街道)の宿場町として大きく発展したが、明治以降には過疎化の道をたどった。だが、国道が宿場町をはずれたため、伊那街道沿いの街並みが今でも残されている。今回は訪ねなかったが、昔ながらの玉田屋旅館や旧紙屋鈴木家、旧三嶋館、中馬館などの古い建物や、足助資料館もある。足助での昼食は、国道沿いで評判のうなぎ屋・川安に決めた。

メニューはうな重と鰻丼4種だったが、朝早く出かけて腹ペコだったので、ご褒美がてらうな重を頼んだ。鰻には甘み抑えめのタレがたっぷりかけられ、しっかり焼かれているが、食べてみると柔らかくて香ばしい。久しぶりの鰻が予想通り美味しくて満足した。

足助町の国道に架かる巴橋の上から、東海随一の紅葉の名所といわれる香嵐渓の全景を見渡すことができる。左の飯盛山(255m)に囲まれて大きく屈曲する巴川の渓谷は、香積寺の「香」と嵐気の「嵐」の文字から香嵐渓と名付けられた。紅葉の見頃は11月中旬から12月初旬ということなので
11月中旬に訪ねたのだが、まだ紅葉が始まったばかりで10年ほど前に見た全山紅葉真っ盛りの景色ではなかった。

巴橋から上流を見て左側に飯盛山がある。森林公園にもなっている飯盛山には、平安時代から南北朝時代にかけて足助一帯を支配した足助氏の居城があった。飯森城址は現在でも曲輪や空堀など中世城砦の形態をとどめ、西三河高原の代表的な遺構とされる。森林公園入り口には六地蔵が祀られている。別名延命地蔵とも呼ばれているそうだ。ここから飯盛山に登り始めるとすぐに、カタクリの群生地がある。

巴川沿いに香嵐渓のもみじのトンネルがあるが、まだ色づき始めたばかりである。

まだ緑のもみじの間に桜の花が咲いている。香嵐渓から1時間ほどの小原には、年に2度咲くという四季桜の名所があるというから、これも四季桜だと思われる。

香嵐渓には多くの紅葉が植えられているが、このもみじは寛永年間(1624~44)に香積寺11世三栄(参栄)禅師が参道に植樹したのが始まりとされる。三栄本秀は、般若心経を一巻読むごとに楓や杉を1本ずつ参道に植え、「もみじの開祖」と呼ばれる。その後、大正・昭和の初めに地元住民の手によって植えられ、現在では約4000本の紅葉があるといわれる。

巴川沿いの道から見上げると、上に太子堂が建っている。法隆寺の夢殿のような六角堂で、中には聖徳太子像が祀られている。太子堂の裏手からも飯盛山に登ることができる。