半坪ビオトープの日記

遣水、常行堂


講堂跡の東側に、金堂円隆寺跡の大きな土壇がある。南大門から大泉池の上に渡された橋を見通した正面にある、毛越寺の中心部を占める堂であった。3間の内陣に四面の外陣がつき、さらに四面の裳階がつく正面7間、側面6間の大規模な建築であったことが判明している。毛越寺の伽藍配置全体からみれば、南大門、池橋、金堂円隆寺の三者はほぼ正確に南北線上にあり、寺域の中心基準線となっている。この基準線に対し相称的な東西両廊があり、東廊の先端には池の北岸近くで鐘楼が接続し、西廊の先端には経楼が接続している。金堂円隆寺を中心に東廊・鐘楼と西廊・経楼によって、左右対称形の伽藍配置が整然となされていた。

金堂円隆寺跡の東側には、平安時代の遺構としては日本唯一最大といわれる遣水がある。池に水を引くためと曲水(ごくすい)の宴を開くために造られたもので、「作庭記」に記述されている四神相応・吉相の順流が「遣水」の現場である。水底には玉石を敷き詰め、流れに水切り、水越し、水分けなどの石組みがなされ、谷川を流れ下り蛇行しながらゆったりと平野を流れる姿を表現している。

今でも毎年新緑の頃に、平安時代さながらの貴族衣装を身に着けた歌人たちが、遣水の水辺に座り和歌を詠む、曲水の宴が開催される。

遣水が池に流れ込む西寄りに、鐘楼跡がある。金堂東廊の南端に連なる建物で、雨落溝が土壇をめぐり、その水は池に注ぐように造られている。

遣水の東側に常行堂が建っているのだが、その左前に大きな地蔵菩薩が安置されている。目鼻立ちが大きくとても穏やかな顔立ちをしているが、案内板には由来などが書かれていないので残念ながら詳細は分からない。

遣水の東に建っている常行堂は、享保17年(1732)に仙台藩伊達吉村が武運長久を願って再建したものである。構造は宝形造りで方5間の茅葺である。常行堂とは、ひたすら阿弥陀仏の名を唱えながら本尊を廻る修行、つまり常行三昧を行う道場である。

須弥壇中央に本尊の宝冠阿弥陀如来が、両側には四菩薩、奥殿には秘仏として崇められている摩多羅神が祀られている。摩多羅神は、修法と堂の守護神であり、平泉周辺では古くから作物の神として信仰されている。奥殿の扉はふだん固く閉ざされ、33年に一度開帳される。正月20日の祭礼では、古式常行三昧の修法が行われ、国指定の重要無形民俗文化財の延年の舞が法楽として奉納される。

常行堂の東には、鐘楼堂が建っている。昭和50年(1975)の再建である。平等院風の姿形の梵鐘は、人間国宝香取正彦の作で、天台座主山田恵諦大僧正の銘が刻まれている。