半坪ビオトープの日記

妙成寺、仁王門


気多神社から4km北に能登を代表する法華寺院、金栄山妙成寺がある。
日蓮の孫弟子にあたる日像が開祖である日蓮宗の北陸本山で、能登第一の大伽藍を持つ。寺伝によると、永仁2年(1294)日像聖人が師命により妙法を京都に広めんとして佐渡から都上がりの途中、船中で能登石動山天平寺座主満蔵法印(日乗)を教化改宗、一寺を建立したのが始まりという。

広い境内には、仁王門を始めとする10棟の国の重文と2棟の県有形文化財が立ち並ぶ。いずれも17世紀の建物で、近世前期の加賀・能登の大工の名作揃いといえる。

境内に入ってすぐ左側には藤棚があり、その奥に苔むした大きな岐阜県産のさざれ石が祀られている。

藤の花はまだ咲き始めたばかりだが、藤棚の先に茅葺の浄行堂が建っている。

浄行菩薩とは、法華経に出現する菩薩で、水が垢や穢れを清めるごとく煩悩の汚泥を除くとされる。開山の日像菩薩は、浄行菩薩垂迹という。

寛永2年(1625)建立の仁王門は、3間1戸の楼門で、屋根は入母屋造桟瓦葺である。彫物は少ないが、組物は豪壮で、木鼻・挙鼻・実肘木などの絵様繰形は江戸初期の様式を示している。禅宗の重層三門とは対照的であり、国の重文に指定されている。掲げられている「金栄山」の山号額は、佐々木志津磨の揮毫による。

仁王門両脇に透連子窓を設け、伽藍守護の仁王像を安置する。右の阿形を金剛像という。

仁王像の作者は不詳だが、建築当初の江戸初期の彫刻とされる。左の吽形を那羅金剛像という。

仁王門の右側に建つ鐘楼も、寛永2年の建立で、国の重文に指定されている。桁行3間、梁間2間、入母屋造杮葺きで、下層部分には袴腰が着いている。組物の意匠だけでなく、屋根の軒出の長さと下層部の袴の反りや広がりの対比など、全体的に均整がとれている。