半坪ビオトープの日記

兼六園、瓢池


内橋亭の左手背後の小高い築山は、栄螺山という。13代藩主・斉泰が霞ヶ池を掘り広げた時の土を盛って作った。高さ9m、周囲約90mで、螺旋状の道を上ると、山頂に避雨亭という御亭(おちん)がある。

栄螺山の左の道を下ると、瓢池の畔に出る。この池の周辺はかつて蓮池庭と呼ばれ、兼六園の作庭はこの辺りから始まったといわれる。

瓢池の東岸には、夕顔亭という茶亭がある。蓮池庭にあった四亭の一つで、安永4年(1774)に建てられた。茶室内の壁には、夕顔の浮彫りが施されている。
夕顔亭の縁先左には、黒っぽい伯牙断琴の手水鉢がある。自らの琴の音を最も理解した友人の死を嘆き、一生、琴を奏でないことを誓った名手・伯牙の姿が浮彫りにされている。高さ45cm、直径85cmと大きく、5代藩主に招かれた京都の名金工・後藤程乗の作といわれる。

夕顔亭の手前には、竹根石手水鉢がある。竹の化石のように見えるが、椰子類の茎と根の化石で、学術上極めて珍しいものとされる。

夕顔亭の対岸には、霞ヶ池から流れ出て瓢池に注ぎ込む翠滝がかかっている。高さ6.6m、幅1.6m、水量が豊富で滝音も大きく、目と耳を楽しませてくれる。右手の中の島に建つ高さ4.1mの海石塔は、虫が喰ったように穴の空いた薄茶色の笠石が六重に重ねられている。秀吉から贈られたとの説もある。

瓢池から栄螺山に戻る途中で左に折れると、黄門橋を渡る。謡曲「石橋(しゃっきょう)」を題材に作られた青戸室石でできた反橋で、一枚石を二枚石に見えるよう細工されている。

黄門橋を下ると、日本最古といわれる噴水がある。霞ヶ池を水源とし、池の水面との高低差による自然の水圧で上がっている。水の高さは約3.5mあり、霞ヶ池の水位により変化する。藩政末期、金沢城内の二の丸に水を引くため試作されたと伝えられている。