半坪ビオトープの日記

愛宕神社、浅間神社


南房総市千倉町川合に愛宕神社がある。余り知られていないが、武志伊八郎信由いわゆる初代波の伊八と後藤義光の彫刻があるというので寄ってみた。石の鳥居は真新しいが、急な石段は歴史を感じさせる。

赤い木製の二の鳥居をくぐると、石段を上り詰めた境内に社殿が認められる。

愛宕神社は、「愛宕山、上りて呼万をのぼれば、海山かけて広口恵みを」と歌われ、川合村の氏神として七浦の高塚不動尊とともに古くから農漁民の信仰が篤く、縁日には近郷近在からの参詣者で賑わうという。社殿は安永4年(1775)の再建といわれるが、最近改修されたのだろうか、かなり新しく感じる。

拝殿向拝にも彫刻はかなりみられるが、初代波の伊八が22歳の時の作という波と龍らしき彫刻を特定はできない。社殿内外の波の彫刻とみればよいのだろうか。それとも社殿内に古い本殿があるのだろうか。

斜めから見ても向拝には龍の彫刻は残念ながら見つからない。無人の神社なので誰に聞くこともできない。

堂内を覗いてみたが、神社入口脇の案内板に記載された、愛宕神社にあるという明治時代の川名楽山作の富士巻狩図・天孫降臨図も、後藤義光14歳の時の出世作品、文政11年(1828)作という大黒天立像・賓頭盧尊者立像も、初代伊八の波と龍の彫刻も、残念ながら見当たらなかった。時々特別公開されるというが、わざわざ合わせて来ることもできない。

千倉町瀬戸の道路に面して浅間神社がある。

とはいえ境内らしきものはなく、小さな広場にぽつんと社殿が残されている感じである。

拝殿に近づいてよく見ると、昭和53年に移転改築された旨が記されている。虹梁の蟇股の彫刻は、かなり精巧に彫られているので、初代波の井八が天明3年(1783)32歳の時に彫ったものと思われるが、改築されて当時の拝殿全体の様子が分からないのが惜しい。

覆屋のような拝殿の中に、小さな本殿が垣間見えた。この本殿の彫刻も、初代波の井八が彫ったものと思われるが、あまりにも小さく波の井八のものとしては迫力に欠ける。