半坪ビオトープの日記

立山室堂


広い休憩広場の先に立山室堂とその左に立山室堂山荘が建っている。古い立山室堂の手前には石仏がある。江戸時代から、立山・白山・富士山が日本三霊山と呼ばれるようになり、立山は多くの人々の篤い信仰を集めてきた山岳宗教の霊山だった。立山への登拝道には信徒によって奉納安置された多くの石塔・石仏があり、石仏41体と石塔3基が富山県の有形民俗文化財に指定されている。

正面には立山三山の山腹が見え、右手の峠、一の越へ室堂から1時間強の緩やかな登山道が、雪渓を横切りながら続いているのが見える。

大きな雪渓の手前には、玉殿岩屋への道があったが、急坂で、解けかかった雪渓が危ないとのことで進入禁止となっていた。立山を開山した佐伯有頼が、山裾で熊を射、その熊を追って白鷹に導かれ山を登ったところ、岩屋からうめき声が聞こえ中を覗くと胸に矢が刺さった阿弥陀如来が立っていた、と伝えられる場所である。明治時代まで立山修験道の聖地とされ、岩屋で行者が修行していたという。

二棟ある立山室堂は、現在残っている日本最古の山小屋で、立山における信仰や民俗の様子を伝える貴重な建造物である。「室」とは宿泊所という意味であり、「堂」とは宗教施設を示すもので、室堂はその両方の役割を併せ持ったものである。現在の建物は、加賀藩の援助で享保11年(1726)に再建されたと伝えられており、国の重要文化財に指定されている。最初のものは14世紀に建てられたと考えられている。

立山室堂の近くにも小さな石仏が集められて祀られている。神と仏が渾然一体となってつくられた立山信仰は、明治政府の神仏分離令による廃仏毀釈運動に激しく揺すぶられた。立山権現の称号の廃止、仏像・仏具の散逸、擬死再生の儀式である布橋大灌頂や芦峅衆徒による全国各地への布教活動廃絶などをきっかけに立山における宗教色は一気に薄れたという。
雪渓を横切る登山者は一の越から戻ってくる人であり、左上に延びる登山道は浄土山(2,831m)に登る道である。

細い溝に沿って咲いているのは、アブラナ科ヤマガラシ属のヤマガラシ(Barbarea orthoceras)である。北海道と中部地方以北の山地から高山の渓流沿いに生える多年草で、葉が辛いのでこの名がある。

5枚の花弁のうち2枚が長く伸びて「大」の字に見えるこの花は、ユキノシタ属のミヤマダイモンジソウ(Saxifraga fortunei var. incisolobata f. alpina)である。北海道と中部地方以北の高山帯に生える日本固有の多年草で、根葉はほぼ円形だが掌状に裂け鋸歯状となる。

こちらの白い花は、先ほど見かけたチングルマ属のチングルマ(Sieversia pentapetala)である。単独で群落をつくることが多く、雪が解けた後、乾きやすい砂礫地などを覆い尽くしてお花畑となる。高さ約10cmの落葉小低木で、光沢のある深裂した葉を密につける。

こちらも先ほど見かけたハクサンイチゲ(Anemone narcissiflora var. japonica)で、花には花弁がなく、花に見えるのは白い萼片である。