半坪ビオトープの日記

宝生寺、木喰仏


長岡ICの西4kmほどのところに、木喰観音で有名な真言宗の金亀山宝生寺がある。

短い参道の右手には大きい宝篋印塔が建っている。

左手には石仏が並んでいて、その先に鐘楼が建っている。

本堂右手前には、弘法大師銅像が建っていて「南無大師遍照金剛」と宝号が書かれている。お遍路さんが道中唱えながら修行する御宝号であり、真言宗で唱える一番短いお経である。弘法大師を拝むと同時に、その後ろの大日如来を拝み、全ての神仏を拝むことになる。本堂はコンクリート造で味気ないが、千年を数える古刹という。

微笑仏で知られる木喰上人は、江戸時代後期に甲斐国に生まれ(1718~1810)、56歳から廻国巡業しながら全国に千体以上の仏像を彫り上げたといわれる。中でも生涯に二度訪れた新潟県内には、現在全国で確認されている約620体のうち約260体の仏像が残り、特に30体を超える群像などの傑作が長岡市小千谷市柏崎市を中心とした中越地方に数多く見られる。
宝生寺の木喰仏は、小千谷市の小栗山観音堂と並んで、昭和42年に新潟県重要文化財の指定を受けた。翌43年にはこれらを保管・展示するための木喰堂が境内に建てられた。

西国三十三観音像のうち1体は明治13年の火災の際に盗難に遭い、現在32体が残っている。
堂内は撮影禁止だが、絵はがきを買い求め、拝観料も納めたところ、撮影を許していただけた。

32体に自刻像1体を加えた33体の彫刻がずらりと並んだ様子は、圧巻である。

まさに円熟期の作品で、どの観音像も微笑仏の特徴がよく表れている。これは、如意輪観音像である。これと自刻像の写真は、絵はがきのものである。

境内にあった大イチョウを見た木喰上人が「西国三十三観音を彫らせてほしい」と住職に願い出たことが始まりで、文化元年(1804)木喰上人87歳の作である。これが木喰上人の自刻像である。