半坪ビオトープの日記

須佐神社、本殿


須佐之男命の終焉の地とされる須佐神社は、出雲市駅の10数km南の山あいにある。『出雲国風土記』には、須佐之男命が諸国を開拓した後に「この国は小さい国だが、最適な国だ。我が名を石や木にはつけまい」といって、御霊をここに鎮めて自分の名を地名にしたという記述があり、その須佐郷がここに比定されている。古来より須佐之男命の本宮とされ、社家の須佐氏は、須佐之男命の子の八島篠命を祖とすると伝える。『延喜式』の式内社であり、中世には「十三所大明神」「大宮大明神」、近世には「須佐大宮」と称した。

鳥居をくぐってすぐ右手に石亀がある。平成9年に奉納されたもので古くはない。

随神門には、豊磐間戸神、櫛磐間戸神を祀っている。どちらも外敵侵入を防塞する門神である。

随神門の左手には、木彫りの神馬像がある神馬舎と西末社が建っている。

随神門の右手には、東末社が建っている。東西末社の祭神は、天忍穂耳命天穂日命天津彦根命、活津彦根命、熊野樟日命、市杵嶋姫命、田心(たごり)姫命、湍津(たぎつ)姫命であり、天照大神の八御子神を祀っている。

拝殿の右手前には、神楽殿がある。節分では「蘇民将来」に因んだ神楽が奉納される。須佐神社では、二月の節分祭で、蘇民将来の故事に倣って「茅の輪」を参拝者に授け、「蘇民将来之子孫」と記した守護札を授与している。節分に行うこの行事は全国でこの社しかなく、須佐之男命にゆかりが深い証拠という。普通、茅の輪くぐりは、6月の大祓で行われることが多い。神事として、朝覲祭(ちょうきんさい)、陵王舞い、百手神事、切明神事などがある。

拝殿は正面3間、側面3間、注連縄が掲げられた入母屋造平入りである。

拝殿内部より、幣殿・本殿手前の祝詞殿を見る。

12m余りの高さを誇る本殿は、方2間の大社造で、屋根は切妻の妻入で栩葺(とちぶき)、天文23年(1554)の造営といわれるが、島根県指定の文化財としては文久元年(1861)建造とされる。礎石の上に柱が建ち、高く社殿を持ち上げる高床式で、床の下に建つ束柱は、外陣の各面を4本ずつ、内陣には周囲を廻す柱が3本に加え、中心を支える2本の柱が建つ。棟には男神を表す外削ぎ(断面が縦)の千木と、大社造らしく3本の鰹木が乗る。
主祭神須佐之男命で、妻の稲田姫命稲田姫命の両親である足摩槌命手摩槌命を配祀している。