半坪ビオトープの日記

海上八幡宮


銚子駅の北西5kmほどの国道沿いに、海上(うなかみ)八幡宮がある。がっしりとした二の鳥居(両部鳥居)に掲げられたごっつい扁額には「海上宮」と記されている。総社八幡宮、柴崎八幡宮とも称する。

社伝によれば、大同2年(807)白鷺がしきりと鳴き、この地に落とした八幡大菩薩の尊像を祀ったのに始まるというが、豊前の宇佐八幡を勧請したことに始まるとも伝わっている。

祭神として、宇佐八幡と同じに、八幡大神誉田別尊応神天皇)、比売大神(宗像三女神)、神功皇后息長足姫命)を祀っている。

源頼朝石橋山の戦いで破れた時に当社に祈願し、鎌倉に開幕とともに報賓として治承4年(1180)現在地に遷座造営したという。中世には当地を領した海上氏のほか、千葉氏や東氏などの諸武将が崇敬、寄進していた。江戸時代は社領30石を有し、海上郡60余郷の総鎮守として栄えた。

現在の本殿は、桁の墨書銘から天和3年(1683)の建立とされている。江戸時代前期を象徴する三間社流造として、県の有形文化財に指定されている。茅葺を銅板葺きにするなど、拝殿・幣殿・本殿の大修復が平成15年まで行われた。千木、鰹木を置き、周囲に擬宝珠高欄の縁を巡らし、脇障子を設けている。柱、組物、垂木などは弁柄朱塗、向拝柱は黒塗、蟇股及び木鼻、手挟などは極彩色で彩られている。

柱上の組物は出組で、中備には「梅に鶯」「葡萄にリス」「松に鷹」などの動植物の彫刻を装飾した本蟇股を置き、切妻の妻飾りにも二重虹梁の下段中央に邪鬼の彫刻を据えるなど、江戸時代前期の豪華さ、力強さを表現していて興味深い。

本殿の右手の裏には、大きな石碑と小さな石祠があるが、詳細は不明である。

本殿の裏手に、かなりしっかりとした構えの稲荷神社がある。

本殿の左手には、天照皇大神の石碑と支社が祀られている。