半坪ビオトープの日記

香取神宮、楼門


総門に戻るとすぐ先に華麗な楼門が建っている。朱塗りの楼門は、元禄13年(1700)幕府により造営されている。3間1戸入母屋造銅板葺の純和様で構築されているが、当初はとち葺であった。掲額は、東郷平八郎の筆である。楼門内安置の随身は、俗に左大臣右大臣と呼ばれているが、正面右の老人像は「竹内宿禰」、左の壮年像は「藤原鎌足」と伝えられている。

楼門右前には、黄門桜と呼ばれる水戸光圀手植えの桜がある。

さらに右手には、末社諏訪神社がある。祭神は、建御名方神である。

楼門をくぐると正面にあるはずの社殿は、残念ながら工事中であった。現在の社殿は、元禄13年(1700)徳川綱吉の幕府の造営で、昭和15年、54年に改修され、現在も改修中である。拝殿は、檜皮葺屋根、黒塗権現造で、長押上には極彩色の蟇股があり、禽獣花鳥の彫刻が荘厳であるという。本殿は桃山形式の3間社流造に後庇を加えた両流造りで、現在屋根は檜皮葺だがもとは杮葺であった。壁や柱は黒漆塗りで、国の重要文化財に指定されている。

工事中の覆いの間から、かろうじて拝殿内を垣間見ることができるようにされていた。
主祭神は、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)で、伊波比主命(いわいぬし)とも表記される。武甕槌神鹿島神宮祭神)とともに天孫降臨に先立って国土を平定したとされる武神である。配神として、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、比売神天児屋根命を祀る。
経津主神は、大和の石上神宮物部氏が祀っていた刀剣の神と同じ神で、伊波比主命は波の神、海の神で海上交通の神に通じると考えられている。

楼門は内側から見ても、均整が取れていて壮麗といえる。

楼門の随身の裏手には、木製の大きな狛犬が安置されている。よく見かける型で、護国タイプと呼ばれるそうだ。

拝殿左手前には、大正天皇が手植えしたという松が大きく聳えている。

社殿左手奥に、三本杉という巨木が空高くのびている。ただし、真中の杉は枯れている。源頼義が参拝した折に、「天下太平・社頭繁栄・子孫長久の三つの願いが成就せば、この杉自ら三枝に別れん」と祈願したところ、1株の杉が三枝に分かれたという。