半坪ビオトープの日記

香取神宮、要石


2月中旬に、香取神宮鹿島神宮および銚子周辺の史跡巡りに出かけた。香取神宮の駐車場は、楼門のすぐ西側にあったが、総門の下から紹介していく。
神宮の創建は定かではないが、神武天皇18年と伝えられている。「常陸風土記」によると、神代の時代に肥後国造の一族だった多氏が上総国に上陸し、開拓しつつ常陸国に勢力を伸ばした。この際に、出雲国の柘植氏族によって農耕神として祀られたものが、香取神宮の起源とされる。大化5年(645)には香取神郡が設けられたが、当時神郡(神領)を持ったのは、伊勢神宮鹿島神宮香取神宮の三社のみだった。古くから下総国一宮であり、延喜式神名帳では名神大社に列せられている。また、鹿島神宮、息栖神社とともに東国三社に数えられる神社で、神宮の称号(明治以前には伊勢・香取・鹿島のみ)をもつ国家鎮護の神として崇敬が篤く、明治以後の社格では官幣大社に列している。
朱塗りの大鳥居をくぐって玉砂利が敷き詰められた参道を進むと、朱塗りの総門がある。角柱12本の唐門様式の脚門で、幅広の石段の上に仰ぎ見る総門は、色鮮やかではあるが、手前の石造の鳥居と比べてみても、神宮の総門にしては少し控えめな造りである。

総門の手前に左に分かれる道があり、その際に日本庭園風の神池がある。

左の道を進むと護国神社の社号標と鳥居がある。

その道を上がって行くとやや広い境内があり、素朴な木の鳥居の先に護国神社が見える。

護国神社は、明治以降の国難で殉じた香取郡出身者を祀っている。

護国神社の左手の奥に、末社の押手神社がある。祭神は、宇迦之御魂神を祀っている。

押手神社の向かいに、要石がある。

地震を起こす大ナマズを押さえているとされる石。凸型をしていて、鹿島神宮の凹型の要石と地中で繋がっていると伝えられている。