半坪ビオトープの日記

妻沼聖天山、本殿


拝殿の左に回り込むと、拝殿・幣殿(中殿)・本殿(奥殿)が繋がっている権現造であることがよくわかる。現存する本殿は、寛保2年(1742)に再建されたもので、最近8年間と13億円かけて保存修理を終え、国宝に指定された。古くは、応永12年(1405)第12代忍城主成田五郎家時により再建されている。

聖天堂の各所に多くの彫刻が施されているが、それらは上州花輪村(群馬県みどり市)の彫刻師だった石原吟八郎を中心に制作された。吟八郎は、日光東照宮の修復にも参加している。奥殿外部の南側の右手の大羽目には、左甚五郎作と伝承される「猿を救う鷲」があり、その上に飛ぶ「鳳凰」の彫刻は、吟八郎の次世代の名工、小沢常信が手がけている。

同じ奥殿南側の最上部、唐破風の下には、「三聖吸酸」という中国の故事に由来する彫刻がある。左から孔子、釈迦、老子が酢をなめて、その酸っぱさを共感しているもので、儒教、仏教、道教など、宗教や思想が異なっていても真理は一つであるという「三教一致」を意味している。

南側大羽目の左側には、鶴亀と遊ぶ道士と若者の彫刻がある。欄干下部の小羽目には唐子童子が大勢で遊ぶ様子が生き生きと描かれている。

奥殿真裏西側の最上部、唐破風の下には、「甕割」という中国の故事に由来する彫刻がある。大甕の周りで遊ぶ子の一人が中に落ちて溺れそうなときに、高価な甕を割って友を助けた司馬光(温公)の話である。中段の大羽目彫刻は左から、布袋様の袋で遊ぶ子ども達、囲碁を楽しむ大黒様と布袋様と恵比寿様、大黒様の米俵や恵比寿様の釣竿で遊ぶ子ども達である。神様と子ども達が遊ぶ幸せな世の中になって欲しいとの願いを込められている。

西側と北側の角から見ると、奥殿全体を多くの龍や獅子達が支えているのがわかる。日光東照宮を彷彿させる装飾建築で、「埼玉日光」とも称されるのも当然だろう。

奥殿北側の最上部、唐破風の下には、「猩々」という中国の故事に由来する彫刻がある。酒売りの孝行息子、高風に酒を呑み舞踊る猩々が汲めどもつきない酒甕を与えた中国説話による。
大羽目彫刻では、双六で遊ぶ様子が描かれている。