半坪ビオトープの日記


光前寺は天台宗信濃五山(戸隠山顕光寺・長野善光寺・更科八幡神宮寺・立科町津金寺・光前寺)の一つに数えられた。
現在の建物は十棟ほどだが、500年ほど前には本堂、三重塔、仁王門のほか護摩堂、阿弥陀堂、妙覚院、徳寿院、円乗院、中正院、顕明院などの建造物が建ち並び、南信濃随一の大寺となっていたという。脇道にあるこの苔むした石垣の上にも、それらのうちのどれかが建っていたものと思われる。

三門に向かう参道の脇に立つ杉の巨木は、とてつもなく大きく光前寺の歴史の重みを象徴しているようだ。

三門は嘉永元年(1848)に再建されたもので、楼上には十六羅漢を祀っている。涅槃に入るための三解脱門の意である。
光前寺の三門は、長野県では善光寺に次ぐ三門とされ堂々としている。

方1間入母屋造の弁天堂(重文)は、光前寺の建築で最も古く室町時代末期の建立とされる。

堂内には同じく重文の宝形造りの厨子があり、その中に安置されている弁財天・十五童子は、明応9年(1500)七条大倉法眼の作である。

弁天堂の裏手にある経蔵は、享和2年(1802)に建てられた向拝付唐破風造りで、その建築美は近郷随一と称される。霊験早太郎のために多くの経巻とともに奉納された大般若経600巻が所蔵されている。
経蔵の右に立つ三本杉は、樹齢約700年といわれる。

三門の左にある鐘楼は、昭和35年に当山開基千五百年により再建された。大梵鐘は、重量が360貫(1340kg)ある。