半坪ビオトープの日記


天心記念五浦美術館は、岡倉天心や五浦の作家達の業績を紹介するとともに、展覧会をはじめとする美術鑑賞の機会提供や日本美術の情報発信などを目指している。
天心記念室では、書簡や遺品などの天心の業績紹介とともに、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山ら五浦の作家達の作品を紹介している。

岡倉天心(1863~1913)の活動は、日本画の革新運動や古美術品の保存、東京美術学校の創立、日本美術院の創立、ボストン美術館中国・日本美術部長就任など目覚ましい。
また、英文の「茶の本」著作など東洋や日本の美術・文化を欧米に積極的に紹介した。
平成9年に開館した天心記念五浦美術館は、大小の入り江に波が打ち寄せ、岬に生い茂る松の緑が美しい、太平洋を一望できる高台に立つ美術館である。

五浦海岸の北に位置する平潟港は絶景の名勝地で、港の東には薬師堂、西には八幡神社があり、湾内は波静かで鏡のように奇岩や草木を映し出す。かつては野口雨情の「波浮の港」のモデルになったと伝えられていた。
江戸時代初期、寛永年間(1623~43)に仙台藩が年貢米輸送の中継地として築港され、その後幕府公認の東廻廻船の寄港地に指定されると、廻船問屋が軒を並べるようになり商業の中心地として繁栄し、明治30年に常磐線が開通してその座を失うまで約270年にわたり栄えた。

五浦には大きな温泉、五浦観光ホテルがあるが、ここ平潟には豊富な魚介料理とアンコウ鍋を売り物にする温泉旅館・温泉民宿がいくつかある。
震災の被害は以前の光景を知らないのでよくわからないが、堤防の一つはなくなっているという。

近くの道路脇に平潟洞門記念碑がある。江戸時代中頃、平潟村に廻船問屋が多くなるに従い、東の海を除く三方を山に囲まれた平潟港から北の山地に洞門をうがち通行の便を図り商業活動の発展を目指そうとの願いが大きくなった。安永3年(1774)秋から洞門掘削工事が始まり、翌年の夏に開通した。津奉行の稲石祐右衛門匡香は、浦役人鈴木主水義辰に経過を記録させ保存を命じた。平潟村民の懇請により、水戸藩の学者長久保玄珠はその碑文を撰文した。その洞門も昭和初期には取り壊され切通し道とされ、この記念碑が残るだけである。