半坪ビオトープの日記


談山神社から桜井に向かう途中に聖林寺(しょうりんじ)がある。伝承では、和銅5年(712)に妙楽寺(現在の談山神社)の別院として、藤原鎌足の長子・定慧(じょうえ)が創建したという。妙楽寺とともに大神神社(おおみわじんじゃ)とも関連が深い寺院と思われている。門前の「大界外相」(律院の結界を示す)石碑は、幕末から明治にかけての河内の学僧、慈雲尊者の筆という。

聖林寺は、北に奈良盆地を見下ろす小高い位置にある。江戸時代には性亮玄心が三輪山の遍照院を移して再興したという。右手に見える山が三輪山(467m)で、大和を最初に統一した𩜙速日命(にぎはやひのみこと)を祀る大神神社が麓にある。左の白いビルの陰にあるのがメスリ山古墳で、その奥の横に長い古墳が卑弥呼の墓といわれる箸墓古墳である。

真言宗室生寺派聖林寺山号は、霊園山(りょうおんざん)という。

聖林寺の本尊は、石造彩色の子安延命地蔵菩薩像で、安産・子授けの地蔵として親しまれている。この地蔵像は、元禄期(1688-1703)に文春諦玄という僧が、女性の安産を願って各地に勧進し造立したもののひとつで、高さが3.5mあり、大和では最大の石地蔵である。石仏が屋内に祀られているのも珍しく、本尊となると聞いたためしがないが、確かに親しみを感じるお地蔵様である。