半坪ビオトープの日記


室生寺真言宗室生寺派大本山で、山号を宀一山(べんいちさん)と号する。「宀一」とは「室生」の略だという。「続日本紀」などによると、奈良時代末期の宝亀年間(770-781)時の東宮・山部親王(後の天武天皇)の病気平癒の祈願を室生で行った所、竜神の力で回復したので勅命により室生寺が創建されたという。興福寺の僧、賢璟(けんきょう)とその高弟修円が開基とされる。
斜面に礼堂を張り出す「懸造(かけづくり)」で金堂が建っている。

国宝の金堂は、平安時代前期(9世紀後半)の建立で、鎌倉時代末期に大修理している。

内陣の中央に本尊の釈迦如来立像(平安初期・国宝)、右に薬師如来像、地蔵菩薩像、左に文殊菩薩像、十一面観音菩薩像(平安初期・国宝)が並び、前には運慶作と伝わる小さな十二神将像(鎌倉時代・重文)が所狭しと並んでいる。撮影禁止なのでパンフの切り抜きを載せる。

とりわけ左端の十一面観音菩薩像が優美といえる。これはガイドブックからの切り抜きである。

寄棟造り柿葺きの屋根は、左手前の庇の曲がり具合に特徴があるという。

金堂の左には鎌倉時代建立の弥勒堂(重文)が建っている。単層入母屋造の杮葺き建築で、修円が興福寺の伝法院を受け継いだものと伝えられる。

内部には須弥壇に安置された本尊の厨子入り弥勒菩薩立像と、国宝の釈迦如来立像がある。平安時代初期の貞観仏で、一木造りである。