半坪ビオトープの日記


長谷寺よりさらに東、三重県境に近い奥深い山と渓谷に囲まれた室生の地に、山岳寺院である室生寺がある。
室生寺は江戸時代より現在まで真言宗だが、当初から江戸時代までは興福寺法相宗であった。五代将軍綱吉の母、桂昌院のの力添えで真言種の寺院となった。その間にも天台密教真言密教の影響も受け続け、僧兵を持たなかったことと平安京の都から遥か遠くに位置したため、内乱や焼き討ちなどにあわずに多様な仏教美術が残り、密教美術の宝庫といえる。
真言密教はもともと女人禁制だったが、その女人禁制の高野山に対し、桂昌院の影響で室生寺では女性の参詣が許されることになったことから「女人高野」の別名がある。室生川に架かる朱色の太鼓橋の手前には「女人高野室生寺」の石標が立っている。

旅館や食事処の間を通り太鼓橋を渡ると、室生川の流れと回りののどかな農村風景が見渡せる。

太鼓橋の向こうには表門があり、ここにも「女人高野室生寺」の石標が立っている。石標上部の家紋は、桂昌院の実家本庄家の「九目結文(ここのつめゆいもん)」である。

境内に入ると大きな仁王門が立っている。ただしこの仁王門は現代の再建という。

仁王門の内側では虚無僧が東日本大震災の募金のため尺八を奏していた。

金堂へ上がる石段、鎧坂の左手前に「バン」という梵字の形をしたバン字池がある。鎧坂の両側にはシャクナゲの花が咲いている。この池では毎年、6月にはモリアオガエルの樹上産卵が見られるという。