半坪ビオトープの日記


この十三重塔は、白鳳7年(678)に創建され、承安3年(1173)に興福寺衆徒勢に焼かれた。その後、文治元年(1185)に再建され、享禄5年(1532)に修築されている。唐の清涼山宝池院の塔を模したといわれ、木造の十三重塔としては世界唯一という。高さは約17mあり、屋根は檜皮葺きである。

十三重塔の西にあるのが重文の権殿(ごんでん)で、天禄元年(970)摂政右大臣藤原伊尹の創建だが、現在の社殿は室町時代後期の再建という。阿弥陀像を安置した元の常行堂である。

権殿の西にあるのが末社の比叡神社で、寛永4年(1627)の造営である。元は飛鳥大原の大原宮で、これも重文に指定されている。

比叡神社の手前の石垣の下に黒くて小さい杮葺きの建物、元和5年(1619) 造営の閼伽井屋(あかいや)がある。中の井戸が「摩尼法井」と呼ばれ、昔、定慧和尚が法華経を講じたとき、龍王龍神)が出現したという。

こちらは寛文8年(1668)造営の末社総社拝殿である。談山神社拝殿を縮小し簡略化した様式で、正面、背面ともに唐破風をもち、重文に指定されている。

これは延長4年(926)の勧請といわれる末社総社本殿で、天神地祇天津神国津神の総称)・八百万神を祀る総社としては日本最古の建物という。寛文8年(1668)に造り替えの本社本殿を移して、寛保2年(1742)正遷宮されている。総社拝殿も総社本殿もかなり傷んではいるが、絢爛豪華な装飾が偲ばれる。どちらも重文に指定されている。