半坪ビオトープの日記


藤原鎌足を祀る本殿は、大宝元年(701)に鎌足の木像を安置する祀堂として創建され、現存は嘉永3年(1850)に再建されている。三間社隅木入春日造の様式で、社殿全体が極彩色の模様や花鳥などの彫刻で装飾されている。日光東照宮の手本となったとして、関西の日光と呼ばれている。左の楼門の奥にあるのだが、今は工事中で中はよく見えない。
すぐ右に接して建っているのが拝殿で、天武天皇9年(680)に講堂として創建され、そのとき妙楽寺と号した。高欄を巡らし、軒端に銅製釣灯籠を並べ、殿内には多武峰縁起絵巻、刀剣等の寺宝を展示している。現在の拝殿は永正17年(1520)の造営で、重文に指定されている。

これは密教法具の金剛杵の一種で、鈷部が九尾の龍を表しているため九龍杵(きゅうりょうしょ)という。中国の元〜明時代(13-16世紀)のものだが、日本では九龍杵を用いた修法は行われなかったようで、日本製もどこにもないという。

これは、中国南宋時代(12世紀)の「版本細字法華経」の扉絵の部分である。法華経七巻を細字で一帖にしたもので、扉絵には主な場面の銘札が書き込まれている。

こちらは、中国唐時代(8世紀)の「維摩詰経集解(ゆいまきっきょうしっかい)」という維摩経の注釈書である。維摩経の転写により、鎌足の病が癒えたといわれる。

拝殿の東には恋神社で有名な摂社の東殿(とうでん)がある。鏡女王(かがみのおおきみ)、定慧和尚、藤原不比等を祀っている。元和5年(1619) 造り替えの談山神社本殿を移築したもので、本殿、拝殿とともに重文である。