半坪ビオトープの日記


浜松市佐鳴湖の手前にある蜆塚遺跡は、3000〜4000年前の縄文時代後期のムラ跡で、28戸の住居跡、墓地、4ヶ所の貝塚、30体の人骨などが発掘され、国の史跡に指定されている。
史跡公園として整備され、広場の住居跡には平地式家屋が復元されている。

蜆塚遺跡は、多くは淡水性のシジミの貝殻で構成され、約千年分が1.5mに達するほど堆積している。海水性の魚類の骨も混在している。

多くの資料が併設されている浜松市博物館に展示されている。これは蜆塚遺跡で発見された人骨である。

ほかにも15000年前の旧石器時代人、浜北人の資料もある。

この定は、明治政府による五榜の掲示である。五箇条の御誓文の翌日、太政官名でだされ、五倫道徳遵守、徒党・強訴・逃散禁止、切支丹・邪宗門厳禁、万国公法履行、郷村脱走禁止を民衆に命じている。旧幕府時代の高札の廃棄を命じるとともに、旧幕府の政策を継承する内容の高札でもある。