半坪ビオトープの日記


日本黄檗宗の開祖の独湛禅師は、隠元禅師の弟子で1654年に隠元禅師とともに中国より渡来し、宝林寺を建てた後の1682年、黄檗宗大本山萬福寺の第四代住持となった。宝林寺佛殿内部の左右の壁際には、二十四諸天像が祀られている。

二十四天善神ともいうが、関羽帝君菩薩や摩利支天菩薩、天照大神、閻魔羅王菩薩など日本と中国の神々の混在と思われる。

佛殿の裏に大きな方丈がある。正徳6年(1716)に歴代住職の起居堂として建てられたもので、国の重要文化財に指定されている。中には独湛禅師の木像が祀られているということだが、残念ながら見ることはできなかった。

方丈の左には独湛禅師が中国から持ってきたと伝えられる金鳴石がある。正面に「支那金鳴石初山永宝」と彫り込まれた金鳴石は、叩くと澄んだ音が鳴ることから、「お金の成る石」としてお参りが絶えないという。後ろには阿弥陀三石仏が立っている。

方丈の玄関の右脇には箱庭が奉納されていて、水滴の澄んだ音色を反響させる水琴窟が配されている。

佛殿の右には報恩堂がある。宗祖隠元禅師や開基近藤貞用の洪徳に報いるため、隠元禅師の木像、近藤家代々の位牌、独湛禅師の先祖の位牌が安置されている。扁額は独湛禅師の書である。