半坪ビオトープの日記

喜瀬ビーチ、塩川


沖縄中部西海岸には、南から残波岬、真栄田岬、万座毛などの景勝地と、ムーンビーチ、タイガービーチ、万座ビーチ、ミッションビーチなど有名なビーチが点在するが、一番北の喜瀬ビーチには大きなホテルがなくのんびり過ごせる。目の前右寄りには大きな本部半島が見渡せる。

ビーチの左(西)側に、海に長く突き出るブセナ半島があって、喜瀬ビーチは波がなく穏やかである。夕日が沈む頃の景色もムードがあって、砂浜を散策するのも心地よい。

沖縄初日の夕食は、ホテルの居酒屋で刺身盛り合わせやグルクンの唐揚げ、テビチの煮付けなど、いろいろな沖縄料理をオリオンビール泡盛とともに存分に味わった。

魚の美味い店としても知られる通り、店内にはピチピチした珍しい魚がたくさん陳列されていて興味深い。

翌朝のビーチも人影が少なく静かである。ブセナ半島の向こう側には海中公園があるので、時間が取れれば夕方に訪れる予定だ。

二日目は本島中北部西側にこぶのように突き出る本部半島を一周する。本命の美ら海水族館は混雑が予想されるので朝早く出かけたが、本部町に入ってすぐに天然記念物の「塩川」があるので立ち寄った。

全長約300mと日本一短い川ともいわれるが、湧水しているのが真水ではなく塩水である。塩水が湧き出す川は塩川のほかにはプエルトリコしかないといわれる。

海岸線からは150m余り陸地内部にあり、海面上1.29m〜1.42mの岩間から塩水を湧出する珍しい川として、昭和47年(1972)5月15日の沖縄返還当日に国の天然記念物に指定された。湧出原因には岩塩層説、サイフォン説、地下空洞説などあるが確定されていない。

塩川の水を舐めてみると海水よりは薄い。調査によると海水が約4.5倍の淡水に薄められたもので、カルシウム分だけが海水における含有量より際立って多く含まれていて、カルスト由来の石灰分が溶けているとされる。湧出量は那覇港の潮位と連動し、湧水量と塩分濃度は反比例している。24時間降水量が200mmを超える雨が降ると、約1日遅れで湧水量が急増し塩分濃度は低下する。これは海水と混合する塩川湧水の淡水の供給源が、降雨の影響を受ける鍾乳洞の水を主体とすることを示している。日本ではここにしか生息していないとされる準絶滅危惧種のシオカワモッカ(Catenella impudica)という珍しい海藻が生息しているとして、日本の重要湿地500に選定されている。

ほかにもボラやミナミクロダイボウズハゼなどの魚類、洞窟に住む盲目のムカシエビや、チカヌマエビなどの生物が生息している。目を凝らして川を覗き込むと、大きなウナギが岩陰に隠れようと身をくねらせていた。

塩川の岸の岩場には大きなヤドカリがたくさんうごめいていた。沖縄を含む南西諸島には大きなオカヤドカリ属が7種も確認されているそうだが、最も普通種のオカヤドカリ(Coenobita cavipes)としておく。

ヌマガエル、ツチガエル、イモリ


恒例の房総岩井の夏合宿で、ヌマガエルとツチガエルを連れ帰ったが、これで3年目になる。

早速、カエル池に放した。泥まみれのように見栄えのしないカエルでよく似ているが、背中に白い線がある方がヌマガエルである。

こちらがツチガエルであり、どちらも約15mmの今年生まれである。

一昨年のときは、数匹越冬したのを春にも確認できたが、去年はひと月ほどでみかけることがなくなった。池の周りには草が生い茂り、池の中もスイレンが殖えたため、カエルを見つけるのは難しい。二日後にスイレンの葉の上にかろうじて1匹見つけた。

一週間後にもスイレンの葉の脇にヌマガエル2匹を認めた。

今年は逃げ道を塞ごうと、レンガ以外の塀に沿って細かい網を張りめぐらしたが、どうなるだろうか。

二週間後に、カエル池から5mも離れた庭のはずれに置いてある大きな火鉢の中にヌマガエルがちょこんと座っていた。やはり、網のどこかから逃げ出してきたのだろう。行き場がなくて水の匂いのする火鉢に入り込んだようだ。

隣の小さな火鉢にももう1匹浮いていた。火鉢からは外に出ることができず、餌もないので、見つけて戻さなかったら飢え死にするところだ。

六週間後の最近になっても、1匹だけはスイレンの葉の脇に認められた。

10年以上も前から室内の大きな水槽で飼っているイモリ(アカハライモリ)4匹のうち、左下の1匹(アカ)がすっかり痩せて餌も食べなくなってしまった。月2回の赤虫(ユスリカの幼虫)だけという粗食によく耐えてきたのだが、そろそろ寿命が尽きる頃かもしれない。

最期は太陽の光を浴びるようにと、カエル池に放した。

脇野沢、悦心院


薬研温泉に泊まった翌日は、津軽海峡の大畑に下り、そこから時計回りに下北半島を一周する。むつ市街地は翌日回しにして、半島をほぼ半周し、下北半島の南西端にある脇野沢まで直行した。
脇野沢の集落は陸奥のまた再奥のどんづまりで、津軽半島蟹田からフェリーが着くけれども、人影はまばらである。そこに浄土宗の悦心院という寺院がある。

悦心院は、脇野沢の寺院で最も古く、延宝3年(1675)の草創とされ、集落の中心部にある故か、中寺と通称されている。開基は能登出身の廻船問屋・大場清兵衛で、後に角屋松村家が大檀那となった。角屋は脇野沢で唯一、千石船を持つ大商人だった。明治の神仏分離の時、八幡宮にあった観音がここに移されている。(斎藤博之「菅江真澄の歩いた下北」)

その観音に関連するのかわからないが、門前の右手前には幾つかの石造観音が安置されていて、「三十三観世音菩薩建立記念碑」なる石碑も建てられている。

悦心院には応永12年(1405)の鰐口があるが、それは脇野沢瀬野の寺屋敷から発掘されたものとされる。また、脇野沢には江戸時代、アイヌが住んでいたとの伝説があり、とくに発府羅という首長が陸奥湾岸のアイヌを統率していたとされる。悦心院にはアイヌの名を記した過去帳と、本堂裏にアイヌの墓標があるというが、それらしきものは見つからなかった。

後で調べたところ、その墓標も今では屋内に保管しているそうだ。墓地には恐山で見かけたような傘付きの太くて背の高い角材でできた卒塔婆が立てられていた。

脇野沢の集落から大間崎まで約50kmを一路北上したのだが、山に入るとすぐに脇野沢野猿公園があった。下北半島に棲むニホンザルは、世界で最も北に生息する野生猿として国際的にも有名で、国の天然記念物にも指定されている。けれども時間の都合で野猿公園は省略して、山道を進むとすぐに、道端の木に登っている猿を見つけた。

トチノキの大きな葉っぱに隠れて見分けにくかったが、顔が赤いので、まぎれもなく野生のニホンザルである。ここから仏ヶ浦観光船の出る佐井村まで向かう道は、ナビも避けてしまうほど上下に振幅のある悪路なので、ほとんど車が走っていない。冬には雪が降り風も強いとされる人里離れた秘境に生き続ける下北のニホンザルは、さながら仙人のような風格を備えていると感じてしまう。

開聞山麓、トカラ馬、池田湖


開聞岳(924m)の東麓に、開聞山麓自然公園がある。園内には宝島産のトカラ馬が、多数放牧されている。

カラ馬は、トカラ列島で飼育されてきた日本在来種の馬で、体高は約100~120cmと在来馬の中でも最小クラス。暑さに強く古くから農耕や運搬、サトウキビ搾りなどに使われてきたが、トカラ列島南端の宝島で確認され「トカラ馬」と命名された翌年、1953年に県の天然記念物に指定された。その後、頭数が減少したため数頭を残してこの自然公園と鹿児島大農学部付属牧場に移され、保護・繁殖が図られている。現在、この2箇所と中之島で合計100頭以上が飼育されている。

トカラ列島屋久島から南西の、南北160kmに及ぶ鹿児島県十島村で、人が住む7島全ての住民数は630人(平成24年現在)と少ない。その南端の宝島に明治30年(1879)に喜界島から10数頭の馬が導入された。その後、喜界島では軍馬生産のため雑種化・大型化が進み、在来の喜界馬は絶滅したという。ほとんどの馬は黒毛だが、中に栗毛の馬も少しだけ混じっている。

敷地面積約825haと広大な開聞山麓自然公園には、フェニックス、ヤシ、ハイビスカス、サボテンなど、世界各地の亜熱帯植物が生い茂っている。園内の道路を上り詰めると、長崎鼻や池田湖、東シナ海、遠くに佐多岬が一望できる展望台がある。

西の正面に聳える開聞岳は、薩摩半島の南東端に突出している若い休火山で、鹿児島湾の門戸に当たる海門にその勇姿があるので、「かいもん」と呼ばれるようになったが、古くはヒラキキ岳とよばれ、枚聞大神の神霊が宿る御神体山としての古代信仰の形態が残っている。
海抜924mの美しいコニーデ火山で、頂上に約100mの高さの円頂丘があるのでトロコニーデ式ともいわれる。4000年前頃火山活動を開始し、有史以降の噴火記録は6世紀頃からあり、貞観16年(874)と仁和元年(885)に大噴火している。全山樹木に覆われ、明るい南薩の海岸に屹立する姿は薩摩富士の名にふさわしい。開聞岳の西南の突出部には約20mの海食崖、東と北西には美しい砂浜が続く。

東方向には、開聞岳の東麓に広がる川尻の集落が見える。長崎鼻へと続く砂浜は川尻海岸と呼ばれる。

その右手には長崎鼻が見えるが、晴れ上がっていれば見えるはずの大隅半島は霞んでいて見えない。

北には山の間に池田湖がようやく確認できるが、霞んでいて見えにくい。

この近くには食事をする場所が少ないので、池田湖の西側の湖畔にある池田湖パラダイスに立ち寄った。池田湖から南の外輪山の右手に開聞岳が見えるのだが、かなり雲が湧いていて霞んでほとんど見えなかった。

池田湖は、薩摩半島南東部にある直径約3.5km、周囲約15km、ほぼ円形のカルデラ湖で、九州最大の湖である。湖面の標高は66m、深さは233m、湖底から高さ約150mの湖底火山がある。約5500年前に阿多カルデラに関連した火山活動があり、地面が落ち込んで池田カルデラが形成され池田湖ができたとされる。

池田湖には、体長1.8m、胸回り60cm、体重20kgもの大ウナギが多数生息していて、指宿市の天然記念物に指定されている。このレストランにもいくつか展示されている。

下山の道


下山するとなると足取りも軽くなる。梵天岩からの急坂を下り始めると視界も開けている。右奥の山は東吾妻山で、左奥の一番高い山は一切経山である。

なおも下って大凹の湿原に出たところで、黄色いスミレを見つけた。キバナノコマノツメ(Viola biflora)である。北海道と本州の中部地方以北、四国、屋久島の亜高山帯〜高山帯の湿った草地や渓流沿いの岩隙などに生える多年草で、高さは5~20cmになる。茎葉は腎円形〜腎心形で先は丸く光沢がなく、縁には波状の鋸歯がある。葉腋から花柄を出し黄色の花を1個つける。唇弁は大きく褐紫色の筋がある。

木道脇で、またもやオヤマリンドウを見つけた。9月も下旬になると、花の種類も数も少なく何とも寂しいかぎりである。

こちらの木道の脇でもヤマハハコを見つけたが、やはりすっかり盛りを過ぎている。

いろは沼の辺りを振り返ると、ハイマツや笹原の間に赤や黄色の紅葉が見られた。

帰りは人形石まで戻らず、かもしか展望台経由で北望台まで下る。リフトで下る途中で、ノリウツギHydrangea paniculata)が咲いているのを見つけた。北海道から九州の山地の林縁などに生える落葉低木で、高さは2~5mになる。葉は卵形〜楕円形で、枝先に白色の小さな両性花が円錐状に多数つき、その中に花弁4枚の装飾花が混ざる。花期は7月から9月。樹液を和紙を漉く際の糊に利用したためこの名がついた。

リフトの下はきれいに刈り込まれていて、両側には実のなる木々がたくさん生えている。これはガマズミ(Viburnum dilatatum)であろう。北海道から九州の山野に普通に生える落葉低木で、高さは2~4mになる。5〜6月に枝先に散房花序を出して、白い小花を多数開く。9〜10月に赤く熟し、その後白い粉を吹いて甘くなり食べられる。

高い木に赤い実をたくさんつけているのは、ナナカマド(Sorbus commixta)である。北海道から九州の山地に生える落葉低木で、高さは6~15mになる。葉は奇数羽状複葉で、小葉は4~7対あり、披針形で先は尖る。6〜7月に枝先に複散房花序を出して、白い花を多数開く。秋に赤い実をつけ、果実酒にも利用できる。ナナカマドという名は、「七度かまどに入れても燃えない」との説が広く流布しているが、「七度焼くと良質の炭になる」との説もあり、備長炭の材料として火力も強く火持ちもよいので作られた炭は極上品とされている。

ロープウェイの白布湯元駅からロープウェイの右手奥にある新高湯温泉に行く砂利道の途中で、ニホンザルの親子を見つけた。蚤取りか毛繕いに夢中で、近づいても逃げようとはしない。

黒岳リフト、7合目


黒岳ペアリフトに乗ると、足下にいろいろな花が咲いているのを見る。この黄色い花は、ミヤマオグルマ(Senecio kawakamii)である。北海道の中央高地周辺、利尻、知床の高山帯の草地や礫地に生える多年草で、高さは10~30cmになる。普通、茎や葉には白い毛が密生して白っぽく見えるのだが、標高が低いせいか、このようにすっきりしたものもあるようだ。

足下は見えるが、リフトの前方には霧がかかっていて、この先雨が降るのではないかと危ぶまれる。

ようやく黒岳七合目に着いた。標高1,520mあり、黒岳(1,984m)山頂まで90分ほどで登れる。

案内板手前のフキの葉蔭で、エゾシマリスが何やら忙しげにかじっていた。手前の白い花は、エゾウメバチソウであり、左の青い筒型の花は、ムラサキ科ハマベンケイソウ属のエゾルリソウ(Mertensia pterocarpa var. yezoensis)である。北海道の中央高地周辺の高山帯の岩壁や岩礫地、草地に生える多年草で、高さは15~40cmになる。花は帯紫青色で、茎の先に集散状につき、垂れ下がって咲く。花冠は筒型で中央部に浅いくびれがある。

エゾシマリス(Tamias sibiricus lineatus)は、ユーラシア大陸北部に分布するシマリスの亜種で、北海道と周辺諸島およびサハリンに分布する。海岸から高山までの森林に生息するが、開けた環境に多い。昼行性であり、樹にも上るが、主に地上で活動する。たいへん愛嬌があって、登山者にとても人気がある。

こちらの白い花は、キンポウゲ科のモミジカラマツ(Trautvetteria caroliniensis var. japonica)である。北海道と本州の中部地方以北の亜高山帯〜高山帯の湿った草地に生える多年草で、高さは20~50cmになる。根生葉は径5~30cmの円形〜半円形で掌状に中〜深裂する。花には花弁はなく、白い雄しべが目立つ。

鮮やかな紫紅色の花は、エゾツツジ(Therorhodion camtschaticum)である。北海道と東北地方の高山帯の風衝岩礫地に生える落葉低木で、高さは5~30cmになる。葉は互生し、長さ2~4cmの倒卵形で、縁に毛がある。花は枝先に2~3個つき横向きに咲く。大雪山縦走路では全体の高さが10cmほどで小さく、花が大きく見える。

カエデのような葉から穂状の花を咲かせている木は、カエデ属のオガラバナ(Acer ukurunduense)という。北海道と本州の奈良県以北の高山や深山に生える落葉小高木で、高さは3~10mになる。枝先に総状花序を直立し、黄緑色の雄花と両性花をつける。和名は樹木が麻幹(おがら)のように柔らかいことに由来する。

こちらの小さな白い花は、キイチゴ属のコガネイチゴ(Rubus pedatus)である。北海道と本州の中部地方以北の亜高山帯〜高山帯の林下や林縁に生える落葉小低木で、茎は針金状で分枝して、高さは5~15cmになる。葉は3小葉だが、側小葉が深く2裂するため5小葉のように見える。花は径1.5cmほどで、花弁は4個ないし5個だが、4個が多い。

黒岳ロープウェイ


翌日はどんよりと曇っていて、時折、晴れ間が見えてもすぐに消えてしまう。山の上は霧か雨か分からないが、ともかく行けるだけ行ってみることにする。黒岳ロープウェイの向いの山は、朝陽山(1,370m)という。

標高670mのロープウェイ山麓駅から、標高1,300mの黒岳駅まで7分で着く。ここが黒岳の五合目となっている。

駅前にはいろいろな花が咲き乱れている。手前の白くて長い穂状花序の花は、ワレモコウ属のタカネトウウチソウ(Sanguisorba Canadensis ssp. latifolia)である。北海道と本州中部地方の高山帯の草地、岩礫地に生える多年草で、高さは30~60cmになる。葉は奇数羽状複葉で、小葉は5〜7対あり、楕円形〜広楕円形で鋭い鋸歯がある。

こちらの赤い実がなっている木は、スイカズラ属のチシマヒョウタンボク(Lonicera chamissoi)である。北海道と本州の中部地方以北の亜高山帯上部〜高山帯の低木林に生える落葉低木で、高さは0.5~1mでよく分枝する。液果は2個が完全に合着し、8〜9月に赤く熟す。一般に、ヒョウタンボクの仲間の実には毒があるといわれているので、美味しそうに見えるが食べてはいけない。

目の前にエゾシマリス(Tamias sibiricus ssp. lineatus)が走ってきて立ち止まった。ハイオトギリの黄色い花を見つめている。オトギリソウも薬効が強い薬草として知られるが、毒があるというヒョウタンボクの実をシマリスも鳥も食べるといわれる。

元気よく複総状花序を四方八方に伸ばして細かい花をたくさん咲かせているのは、バラ科ヤマブキショウマ(Aruncus dioicus)である。北海道〜九州の山地帯〜高山帯の草地や林縁、渓流沿いなどに生える雌雄異株の多年草で、高さは30~90cmになる。右の枯れかかった白い花は、マルバシモツケである。

こちらのフウロソウは、エゾグンナイフウロ(Geranium eriostemon var. reinii f. yezoense)という。フウロソウの仲間は、近似種が多く見分け難いが、標識が立っていた。北海道の中央高地周辺の亜高山帯〜高山帯に特産する多年草で、高さは30~50cmになる。葉の切れ込みが深く、表面は無毛である。

こちらの赤いバラは、オオタカネバラ(Rosa suivis)である。北海道と本州の中部地方以北の亜高山帯〜高山帯の草地や岩礫地に生える落葉低木で、よく分枝して高さは0.5~1.5mになる。小葉は2〜3対あり、花は枝先に1個ずつつき、紅紫色で直径3〜4cmである。

道端の花を見ながら200mほど歩くとリフト乗り場があるが、その向こうは霧が立ちこめているようだ。