半坪ビオトープの日記

福島

喜多方ラーメン

喜多方市(合併前の旧喜多方市)では、人口約37,000人に対し130軒ほどのラーメン店があり、人口比では日本一といわれた。札幌ラーメン、博多ラーメンと並んで日本三大ラーメンの一つに数えられている。 喜多方ラーメンは、昭和の初期に市内ラーメン店「源来…

古四王神社

喜多方蔵の里の西、琴平山の中腹に古四王神社があるというので探したが、上り口が見つからなかった。山の麓の道端に鳥居が見えたので立ち寄ってみた。苔むした扁額をよく見ると、なんとか古四王神社と読み取れる。 右奥にぽつんと社が建っているが、古四王神…

新宮熊野神社本殿

長床の裏手の石段の上に、玉垣を廻らせて新宮熊野神社の本殿が東を向いて建ち並んでいる。 本殿中央には本社新宮証誠殿が建っている。新宮熊野神社が当地に勧請されたのは応徳2年(1085)の時で、熊野堂村(現河東町)から移された。当初はこの地に新宮が、…

新宮熊野神社長床

喜多方市役所の西南、慶徳町新宮に新宮熊野神社がある。新宮と称しているが、本宮・新宮・那智の熊野三山を祀っている。 新宮熊野神社は、社伝「新宮雑葉記」によれば、源頼義・義家父子が天喜3年(1055)「前九年の役」で陸奥征討に赴く際、武運を祈って紀…

心清水八幡神社

恵隆寺の西隣に心清水八幡神社がある。塔寺集落にあるこの寺社は、江戸時代まで堂方・宮方と区別されながらも一体として運営されていた。明治初年の神仏分離令によって一寺一社になった。 駐車場のすぐ西に参道があり、正面には二の鳥居と社殿が見渡せるが、…

立木観音、旧五十嵐家住宅

恵隆寺は、伝承によれば、欽明天皇元年(540)に梁の僧・青岩が高寺山(寺の北西)に庵を結び、その後、舒明天皇6年(634)に僧・恵隆が恵隆寺と名付けたという。また、「会津風土記」(寛文6年〈1666〉成立)によれば、大同3年(808)空海の意を受けて坂…

恵隆寺、三仏堂

昨年の10月中旬に、福島県の喜多方から裏磐梯、二本松などを巡った。磐梯山や安達太良山に登りたかったが、会津地方は強風や雨が予想されていたのであきらめた。 磐越自動車道を猪苗代湖の遥か西、会津坂下ICで下りて4kmほど戻った会津坂下町に、金塔山恵…

白河神社

この白河関跡には、延喜式内社の白河神社がある。 狛犬の間を通るとすぐに、大きな藤蔓と古びた鳥居がある。 参道を上り詰めると、社殿の前に大きなスギの木とスギの切り株がある。社殿では、古墳時代の成務天皇5年、白河国造・鹽伊乃自直命(しほいのこじ…

白河関跡、奥の細道碑

参道右手の中腹に加藤楸邨筆になる「奥の細道白川の関」の碑がある。 「心許なき日かず重るままに白川の関にかゝりて旅心定まりぬ。いかで都へと便求しも断也。中にもこの関は三関の一にして、風騒の人、心をとゞむ。秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の…

白河関跡、古関蹟の碑

白河駅の南方12kmに白河関跡がある。常陸の勿来関、羽前の念珠関と並ぶ奥羽古三関の一つで、5世紀頃に蝦夷対策として設けられた東山道口における奥羽への関門だった。その後、律令制の衰退とともに機能を喪失したが、能因法師が「都をば霞とともにたちしか…

ブラッスリーラ・セゾン

白河で洒落たレストランはないか、事前に探し当てたのが南湖公園の湖畔にある、ブラッスリーラ・セゾンという洋食店。旬の地元食材を使い、全て手作りというので期待してきた。 ランチは各種あったが一番充実しているランチコースメニューを選んだ。 オード…

南湖神社

南湖公園の北東部に、公園を造った松平定信を祀る南湖神社がある。入口には定信楽翁の像が建てられている。 参道を進むと、「大震災復興、大鳥居再建」と書かれた板の鳥居が痛々しく立っている。去年の東日本大震災で、鳥居や灯籠がかなり倒れたままになって…

南湖公園、松楽亭

翠楽苑は、一周10分の回遊式庭園であり、池に面した松楽亭では抹茶を楽しむことができる。 松楽亭の向こうには、南湖神社が微かに見え、庭園の廻りは緑濃い木々に覆われている。 上池に面した松楽亭の後ろに見える山は月待山という。松楽亭からこちらを見る…

南湖公園、翠楽苑

白河市への帰りがけに羽鳥湖高原を横切った。羽鳥湖は、周囲16km、最大水深31.2mの人造湖として昭和31年に完成した。 羽鳥ダムは、堤高37.1mのアースダム(土堰堤)で、アースダムの規模としては全国屈指という。今はかなり水量が少なくなっている。 白河市…

二岐温泉、御鍋神社

二岐温泉より4kmさらに二岐山の登山口に向かって進むと、御鍋神社がある。 神社入口の数百m手前に大きな駐車場があり、そこからもブナの原生林の中を抜けて二岐川に沿って神社に向かう15分ほどの遊歩道がある。生い茂る草をかき分けて数十m進んだ所、道端の…

二岐温泉、甌穴風呂

会津の下郷町から白河に向かい蝉トンネルをくぐると天栄村に入る。すぐ右手の二岐川沿いの山間に入り、谷を進むと二岐山(1544m)の麓に二岐温泉がある。 平安時代の安和2年(969)の政変で皇位継承に破れた宮人が、薬湯を求めて川底に湧く現在の元湯自噴泉…

塔のへつり、虚空蔵尊

塔のへつり一帯は、数百〜数千前にできた第三系凝灰岩、凝灰角礫岩、頁岩などが互い違いになった地層からなり、その軟岩部が10万年程にわたる浸食と風化の作用により形成された柱状の断崖と推定されている。 塔のへつりの「へつり」とは、会津方言で川に迫っ…

塔のへつり

会津の下郷町で有名な温泉は、大川渓谷沿いに湯宿の点在する湯野上温泉であるが、その大川(阿賀川)沿いに景勝地で名高い塔のへつりがある。 塔のへつりは、河食地形の奇形を呈する好例として、国の天然記念物に指定されているとともに、大川羽鳥県立公園の…

大内宿、全景

大内宿の突き当たりに一回り大きい茅葺き屋根の浅沼食堂がある。一段高くなっていて大内宿を一望できるので、江戸時代には役人達が見張り場所として使ったそうだ。 浅沼食堂には、岩魚の串焼きや岩魚天ぷら蕎麦のほか、ねぎそばもある。高遠蕎麦と同じように…

大内宿、高倉神社

通りの中程に火の見やぐらがあり、その向かいに高倉神社の鳥居が建つ。後白河天皇の王子の高倉以仁王は、平家物語では治承4年(1180)、源頼政の勧めで平家を倒すため令旨を発し、兵を挙げたが宇治平等院での戦いで敗れ、渡部唱等と越後国小国の頼之を頼っ…

下郷町、大内宿

那須岳ハイキングを諦めた代わりに、福島県下郷町の大内宿に向かった。那須高原から福島県西郷村の甲子高原まで山腹を走り、4年前に開通した長い甲子トンネル(4345m)をくぐって下郷町に抜けた。下郷駅から大内宿に向かい中山峠を下った辺りに、八幡の大ケ…

勿来関は、平安時代の武将源義家の「吹く風をなこその関と思へども道もせにちる山桜かな」の和歌をはじめ、紀貫之、小野小町、和泉式部、西行法師など、多くの歌人が和歌に詠んだ有名な歌枕の地であるが、所在は確かめられていない。 江戸時代には水戸と磐城…

五浦、平潟のすぐ北は福島県になり、勿来の関公園がある。古代から歌枕になっている関の一つ、なこその関は江戸時代の終わり頃からは奥州三関の一つに数えられている。しかし所在地が諸説あるほか、存在自体を疑う説もあり、なぞだらけの関である。和歌など…

天心記念五浦美術館は、岡倉天心や五浦の作家達の業績を紹介するとともに、展覧会をはじめとする美術鑑賞の機会提供や日本美術の情報発信などを目指している。 天心記念室では、書簡や遺品などの天心の業績紹介とともに、横山大観、下村観山、菱田春草、木村…

県庁北のもみじ山公園には福島城址と板倉神社がある。福島城は、治承4年(1180)頃には信夫庄司佐藤基治の家臣杉妻行長の居城であり、杉妻城と呼ばれていた。大仏城という異称は、伊達氏支配時代に杉目大仏を祀っていたことに由来する。豊臣秀吉により奥羽…

福島県庁南にある御倉邸は、旧日本銀行福島支店長役宅として、昭和2年に建てられた瓦葺き平屋の純和風建築である。 福島の市街地には古い建物が少なく、平成12年に市が取得し整備して一般に開放している。 建物には応接室、洋室、和室など10室ほどあり…

信夫山の東端の中腹に岩谷観音がある。創建年代は明らかではないが、平安時代末期、周辺の信夫郡一体を支配した佐藤庄司基治の叔父と伝える伊賀良目七郎高重は、ここ五十辺に館を構えていた。その子孫である尾形四郎憲春(宥海法印)が、応永23年(1416)…

福島市のシンボル的存在である信夫山は、市街地北部にある標高275mの山で、西の羽山(湯殿山)、中の羽黒山(谷山)、東の熊野山(金華山)の信夫三山の総称であり、青葉山、御山の別名もある。古代から山岳信仰で栄え、羽黒神社には日本一の大わらじが奉納…

吾妻小富士からの下り道から浄土平湿原の彼方に東吾妻山が見渡せる。秋の山草はほとんど枯れて、ヤマハハコの白い花だけが盛りを過ぎて咲き残っていた。いくつかの木々が赤く色づき初めていた。 浄土平湿原も散策してみたが、枯れ野原となっている。振り返る…

磐梯吾妻スカイラインは、高湯温泉から土湯峠に至る山岳道路であり、吾妻連峰を縦断する29kmの道のりは、日本の道100選にも選ばれている。作家の井上靖が「吾妻八景」を選んでいる。「白樺の峰」の次の「つばくろ谷」は、はるか80m下に見下ろす切り立…