半坪ビオトープの日記

栃木

輪王寺大猷院から輪王寺へ戻る下新道の右手に東照宮宝物館がある。征夷大将軍宣旨や家康着用の南蛮胴具足など家康の遺愛品が展示されている。 日光山輪王寺は、下野国出身の勝道上人により開創されたと伝承されているが史書にその記録はない。境内の入口には…

夜叉門をくぐり拝殿の前、大猷院の中心に位置するのが唐門である。 承応2年(1653)に建てられた唐門は、1間1戸、高さ3mと大猷院内で最小の門である。 扉は両戒棧唐戸で上部には鳳凰、下部には唐草などの透かし彫りが施されている。門全体は金を基調に極…

二天門よりも豪華と思われる夜叉門も、二天門と同じく承応2年(1653)に建てられた八脚門で、切妻造銅瓦葺、正面には唐破風が付いている。 朱色を基調として組物と金物が金、彫刻が極彩色で彩られ、牡丹、唐草牡丹の彫刻が多用されていることから牡丹門の別…

二荒山神社の大鳥居の左手に、輪王寺大猷院がある。輪王寺とは日光山中にある寺院群の総称で、堂塔は広範囲に散在している。そのうち一番西の奥にある輪王寺大猷院は、承応2年(1653)に設けられた徳川家光の霊廟である。東照宮と異なり仏教式の建築群であ…

本殿の左手に大きな神木が立っている。高さ約60m、太さ6.35mあり、樹齢約700年だが、本社境内第一の巨杉という。 その左に朋友(みとも)神社がある。祭神は少彦名命。五條天神と称え、学問・智恵の神様である。 朋友神社の左手に二荒霊泉が祀られている。…

神楽殿の右手に神苑の入口がある。神苑に入りすぐ左手に日枝神社(山王社)がある。祭神は大山咋命。嘉祥元年(848)に来山した天台宗の高僧・円仁(慈覚大師)により祀られたとされ、現在、日光に残っている山王社はこの1社だけだそうだ。 日枝神社の向か…

東照宮の五重塔の前の道(上新道)を北西に進むと、二荒山神社の楼門がある。下野国の僧、勝道上人が天平神護2年(766)大谷川北岸に現在の四本龍寺の前身の紫雲立寺を建て、神護景雲元年(767)に二荒山(男体山)の神を祀る祠を建てたのが始まりと伝わる…

唐銅鳥居をくぐった右手に宝蔵がある。承応3年(1654)創建で、外部全体を青銅で包んでいる。銅神庫とも呼ばれ、江戸時代には家康の位記・宣旨類、甲冑、刀剣など貴重な神宝を収蔵していた。 宝蔵の左に見える狛犬は寛永13年(1636)建立の関東最古の参道狛…

祈祷殿と唐門の間から本社の拝殿に入れるが、内部はすべて撮影禁止だった。本社は本殿、石の間、拝殿が一体化した権現造りで、東照宮の中心を成している。寛永12年(1635)に建てられ、本殿は桁行5間、梁間5間、背面向拝1間、入母屋銅瓦葺であり、石の間…

東照宮の国宝は、本殿・石の間・拝殿、正面・背面唐門(2棟)、東西透塀(2棟)、陽明門、東西回廊(2棟)の8棟である。現在、本社は工事中であり、唐門と透塀が工事終了している。 東照宮で最も重要な本社の正門が唐門である。間口3m、奥行き2mの小…

陽明門の背面(内側)、つまり唐門や拝殿のある方から振り返って眺めると、数多い彫刻の有様は似ているが違うところもいくつかある。唐破風部分は、額がないだけで正面側と同じである。 門の脇にある塀は正面側に繋がっているので、門の左側面が見える。そこ…

国宝の陽明門は、真南を向いて建っている。 寛永12年(1635)に建てられた陽明門は、3間1戸の八脚楼門、入母屋造四方軒唐破風銅瓦葺の楼門建築である。高さ11.1mの2層造り、正面の長さが7m、奥行きが4.4m。胡粉(貝殻をすり潰して作った白色の顔料)を…

御水舎の前で参道は直角に曲がり北を向く。高さ6mの大きな唐銅鳥居の向こうに陽明門が見える。 日本で最初に造られた青銅製の鳥居で、家光が金2000両を費やして建てた。柱の足元には、神社としては珍しい仏教様式の蓮の花弁が刻まれている。 東照宮は陰陽…

表門をくぐってすぐ左側には、高く聳える高野槇(こうやまき)の木がある。東照宮の大造替を行った3代将軍家光が自ら手植えしたと伝えられ、幹の太さは約3m、推定樹齢は360年以上という。とちぎ名木百選に選ばれている。 その右に東照宮唯一の素木造りの…

東照宮最初の表門は、正面左右に阿吽の仁王像を安置しているので、昔は仁王門と呼ばれていた。 朱色を基調とし、虎や麒麟、獅子、獏など82体の彫刻は極彩色に彩られている。 仁王は仏教の守り神。明治4年実施の神仏分離で、この仁王像は輪王寺大猷院の仁王…

日光東照宮は、徳川家康を神格化した東照大権現を祀っている。元和2年(1616)に家康が駿府で死去すると、遺命により久能山に葬られた後、翌年には日光東照宮に改葬された。作事奉行は藤堂高虎だった。寛永11年(1634)に三代将軍家光が日光に社参し、寛永…

梅雨の合間のこの週末に日光と尾瀬に出かけた。どちらも久しぶりだが、世界遺産になった東照宮周辺を、くまなく見て歩くのは初めてのことである。 東照宮と輪王寺の手前には大谷川が流れ、神橋が架かっている。かつては日光山の行者、朝廷の勅使、将軍しか渡…

この奇怪な建物は、バルセロナに建設中の有名な教会、サグラダ・ファミリアである。正式名は聖家族贖罪教会というカトリックの教会で、尖塔18本の内8本できただけで、中央の聖堂にはいまだ着手していない。 アントニ・ガウディの設計で始められたが、設計…

ワールドスクウェア園内には、ユネスコの世界文化遺産に登録されている45物件を含め、21カ国102点の建造物が精巧に再現されている。小さな観光客もたくさん配置されているので、比較ができて便利である。 エジプトゾーンでは、ピラミッドやスフィンク…

鬼怒楯岩大吊橋を往復した後、世界の有名な建築物や遺跡などを1/25の縮尺で再現した、東武ワールドスクウェアを見物した。 ずいぶん久しぶりに訪れたのだが、それなりに面白い展示があるのでいくつか紹介してみよう。 今話題の「東京スカイツリーと周辺複…

鬼怒楯岩大吊橋は木製床板の人道吊橋で全長は140m、橋桁の幅は1.5mとかなり広く、中央部はバルコニー風に広がっていて記念写真を撮るにはうってつけである。 水面からの高さは約37mあり、橋上からは大岩を縫って流れる鬼怒川の渓谷美を眺めること…

この週末に鬼怒川温泉に行った。駅前には足湯があり、帰りがけの余った時間に名残を惜しむのにちょうどよい。 鬼怒川温泉の新名所として昨年7月に完成した鬼怒楯岩大吊橋は、温泉街の南端に位置し、宿泊先の部屋からも眺めることができた。 部屋からは対岸…

奥鬼怒温泉郷の加仁湯の裏手でショウジョウバカマを見かけた。 紅紫色の花を中国の想像上の猩々に、下方に拡がる根生葉を袴に見立てて名付けられた。日本全国及びサハリン、朝鮮の湿原や山地の渓流沿いに自生する。雪解けを待つように、長さ10〜20cmの…

月山へ向かう道端で、フデリンドウが咲いているのを見つけた。 春に咲くリンドウには、ハルリンドウとフデリンドウとコケリンドウがあるが、これは日本全国および東アジアの温帯に広く分布するフデリンドウ。花の様子が筆の穂先に似ているためにこの名が付い…

奥鬼怒の川俣温泉や湯西川温泉を含む旧栗山村は昨年日光市に統合され栗山地区となった。その中央、日蔭のはずれ、栗山ダムの近くに月山(1287m)があり、その山腹にヤシオツツジが群生している。ヤシオツツジとは、アケボノツツジの変種で、アカヤシオ…

栗山地区には土呂部の谷向いに近い家康の里にもミズバショウの自生地が知られているが、たった5cmの芽が一つ残るだけで全滅状態だった。もともと裏山の斜面の狭い湿地が自生地だったが、人目もない上に何の保護策も講じられていなかった。秘境といえど至…

土呂部のミズバショウ自生地は防護柵で囲われていたが、その外側にカタクリがちらほら咲いていた。 日本全国に自生するが本州の中部以北に多い、ユリ科の多年草。3〜5月、雪解けとともに山野の林下に径5cmほどの淡紅紫色の一花を咲かせる。6枚の花被片…

連休は奥鬼怒の川俣温泉、日光沢温泉、八丁の湯、湯西川温泉とはしごしながら、緑の競演のような新緑の渓谷から雪解け直後の芽吹き始めの樹林帯までを散策した。花はまだ少なかったが、それでもミズバショウ、カタクリ、ショウジョウバカマなどが見られた。 …

鬼怒川温泉から駅に向かう途中の線路脇の石垣でヤクシソウ(薬師草)を見かけた。秋が深まっても目立つ黄色の野草として、人里や低山の道路脇や草原など全国に分布する。キク科タビラコ属で、葉は薄く基部で茎に葉を抱く。花の咲いた後は下を向く。ニガナに…

鬼怒川の渓谷に架かる吊り橋=滝見橋を渡りきった林の日陰にひっそりと白菊が咲いていた。ヨメナ属のカントウヨメナやユウガギク(柚香菊)よりは、シオン(紫苑)属のノコンギク(野紺菊)に似ている。これは葉の形と花の色からシロヨメナ(白嫁菜)と思われ…