半坪ビオトープの日記

千葉

飯沼観音(円福寺)

銚子駅の東1.5kmほどのところに本堂が飯沼観音として有名な円福寺がある。正式には真言宗の飯沼山圓福寺という。 江戸時代に建立された仁王門のほか、本堂・鐘楼・大師堂・多宝塔など全ての建物が銚子大空襲で焼失した。 元々の寺域は広大で、本堂(観音堂)…

渡海神社、本殿

20年に一度の神幸祭(式年三社銚子大神幸祭)が次に行われるのは、平成42年(2030)である。康和4年(1102)に始められ、最初は毎年、10回目の大治5年(1130)から20年毎となって、延べ54回900年もほとんど途切れずに続いている。東大社・豊玉姫神社・雷神…

渡海神社、拝殿

銚子電鉄外川駅の西1km、地球の丸く見える丘展望館(愛宕山)の麓に渡海神社がある。和銅2年(709)に、現在地より東1kmの外川浦日和山(現大杉神社)に創建された。 貞元元年(976)の津波で流されたため現在地よりさらに西に遷座され、さらに延宝2年(…

犬吠埼、大杉神社

銚子大橋で利根川を渡って千葉県銚子市に入り、犬吠埼で泊まった。犬吠埼の「埼」の字は、岬では珍しい。普通の岬や崎は山が海に迫っている地形を示し、石偏の碕は石がゴロゴロした海岸が突き出た地形を示すが、土偏の埼は草木が生えない荒れ地が突出してい…

伊能忠敬旧宅

佐原駅の南東の小野川沿いに佐原の歴史的町並みエリアがあり、そこに伊能忠敬の旧宅と記念館がある。伊能忠敬は、19世紀の初め、50歳を過ぎてから、日本全国を測量して歩き、我が国最初の実測日本地図を作り上げた。佐原の人々は忠敬のことを親しみを込めて…

佐原の観福寺

佐原駅の南東の小野川沿いに佐原の歴史的町並みエリアがあるが、さらに南の町外れの牧野に観福寺がある。観福寺は真言宗豊山派の寺院で、山号は妙光山という。参道から境内にかけて、春は枝垂れ桜、初夏は新緑、秋は紅葉と季節感あふれる趣を味わえる。 千葉…

香取神宮、奥宮

楼門の前の道を楼門に向って左に進むと、境内の外れに末社の馬場殿神社がある。祭神は、建速須佐之男命である。これは古事記での名前で、日本書紀では素戔男尊である。 馬場殿神社の左には末社の市神社・天降神社がある。市神社の祭神は、事代主命であり、天…

香取神宮、祈祷殿

香取神宮も古くは伊勢神宮と同様に、式年造営の制度により20年毎に本殿を造替していたが、現在の社殿は元禄13年(1700)徳川幕府(綱吉)が造営したものである。拝殿の右手の御神木のさらに右にあるこの祈祷殿は、旧拝殿としてそのとき建てられている。祈祷…

香取神宮、楼門

総門に戻るとすぐ先に華麗な楼門が建っている。朱塗りの楼門は、元禄13年(1700)幕府により造営されている。3間1戸入母屋造銅板葺の純和様で構築されているが、当初はとち葺であった。掲額は、東郷平八郎の筆である。楼門内安置の随身は、俗に左大臣右大…

香取神宮、要石

2月中旬に、香取神宮、鹿島神宮および銚子周辺の史跡巡りに出かけた。香取神宮の駐車場は、楼門のすぐ西側にあったが、総門の下から紹介していく。 神宮の創建は定かではないが、神武天皇18年と伝えられている。「常陸風土記」によると、神代の時代に肥後国…

加知山神社は、古くは牛頭天王といい、祭神は素戔鳴尊(須佐之男命)である。元禄16年の大地震大津波(1703)で仁浜の天王塚が波欠したので、享保7年(1722)に2代醍醐新兵衛明廣が敷地の日月に天王の社地を開き、社祀を再建し遷座したという。天保7年(1…

大黒山の裾にあった観音堂の下に水月堂がある。創建は文和4年(1355)とされている。元禄16年(1703)の大津波で多数の死者が出たとき、通称仙人塚に供養されたが、捕鯨集団醍醐組でも3代目醍醐新兵衛の兄弁之助や親戚などに犠牲者を出した。3代目新兵衛…

大黒山(75m)の山頂には天守を模した展望台があり、三浦半島、大島など360度の展望を楽しめる。途中は、湿った林の中の階段を上って行くので、蟹がごそごそと足下で逃げ惑う姿をかなり上に登るまで目にする。 山頂には祠や「陸軍」と彫られた石柱などがあり…

勝山漁港から1kmほどのところに周囲約780mの浮島がある。右手に見える無人島の浮島には浮島神社があり、景行天皇、日本武尊、弟橘媛、磐鹿六雁命が祀られている。 伝説では、東国平定を成し遂げた日本武尊の死後、父の景行天皇は皇子と同じ旅路をたどり、弟…

勝山の集落に入ってすぐに屋敷稲荷があり、ぐるっと勝山城跡のある八幡山の支尾根の山裾を回り込んだ辺りに勝山藩陣屋跡がある。江戸時代の藩主・酒井氏が9代200年間ここに居住していたが、現在は駐車場になって俤はない。何故こんな山裾に陣屋を造ったのか…

岩井袋の福蔵寺の手前の道を右手に上って行き、隧道をくぐって進むと勝山の板井ヶ谷に竜島という集落がある。東にこんもりとした小山があり、そこの崖に弁財天が祀られている。 弁財天は水神であり、財産を司る福神である。その弁財天の右脇に小さな祠が集ま…

隧道をくぐり抜けると鋸南町岩井袋の集落になり、道端にはセンニンソウ属のセンニンソウ(Clematis terniflora)がたくさん咲いていた。日本全土の山野に広く見られるつる植物で、葉は普通5枚の小葉をもつ羽状複葉になる。4枚の花弁に見えるのは萼片で、本…

去年に引き続き夏の合宿は内房岩井海岸の民宿にしたので、舟盛りの地魚をたらふく食べることができ皆満足した。 9月になったため海の家が解体されつつあるが、水温はまだ高くて波も静かだからのんびり泳ぐことができる。 初日は久しぶりの海水浴を楽しみ、…

岩婦温泉は、四方を山に囲まれた岩婦湖のほとりにある。灌漑用に造られた岩婦湖だが、ヘラブナ釣りやボート遊びもできるという。 左奥に見えるのは伏姫荘で、岩婦湖の右手前奥に古くからある岩婦館があって、そちらに入浴した。石で組まれた浴槽は小さくて二…

民宿街の中心には浄土宗の蓮台寺がある。永和年間(1375~79)南北朝の時代、到阿上人によって開創されたもので、本尊仏は恵心僧都の作との寺伝がある。 本堂の前には蓮台寺の大イチョウがある。今から500年余り前に植えられたと推定されている。北(右)のイ…

永年、夏の合宿は、館山外房の相の浜にある寂れた民宿を定宿としていたが、今年は思い切って内房の岩井海岸の民宿に変えた。 海岸に近い民宿は、JR岩井駅からだと15分、館山道のバス停ハイウェイオアシス「富楽里」からだと25分歩く。JRの特急を使用する…

先輩の墓参りは外房線東浪見(とらみ)駅の近くの遍照寺である。東浪見駅は上総一ノ宮の隣駅だが無人駅で、あたりは閑散としている。 野菜の行商の帰りだろうか、大きな荷物を担いだ農婦らしき人も一緒に下車した。 伝承によると遍照寺は、仁寿2年(852)に…

安房白浜温泉は野島崎周辺に点在するホテルにより泉質や温度も違うが、源泉といっても17度から23度ですべて加温されている。 野島崎からホテルに向かって海岸沿いを歩くと、赤いアロエの花が満開だった。この花は、アロエ・ノビリス(不夜城、Aloe nobil…

野島崎灯台の近くに白浜海洋美術館がある。 船首飾り、万祝、捕鯨絵巻、民画、釣具など、海洋民族の生活にちなんだ資料が展示されている。 房総半島発祥の大漁半纏、万祝(まいわい)は漁師の晴れ着であり、江戸時代の船主や網元が大漁祝いの引き出物として…

野島崎灯台へ向かう道の左側に厳島神社に通じる階段があり、鳥居が見える。 階段を上りきると松の木などで囲まれた参道があり、その奥に厳島神社の社殿がある。 海の神様を祀った厳島神社は1776年の創建で、野島崎灯台のできる以前からあった。 もともとここ…

野島崎灯台は白色八角形のレンガ造灯台で、投下までの高さが約30mある。灯台の隣にある灯台資料館(きらりん館)では、灯台関係資料がいろいろと展示されている。 野島崎灯台は、慶応2年(1866) 、英・米・仏・蘭の四カ国条約(江戸条約)によって建設を…

先日、先輩の墓参りを兼ねて房総に出かけた。房総半島最南端の野島崎に立つ野島崎灯台は、観音崎灯台に続いて1870年に、日本の洋式灯台では2番目に初点灯した。 最初の灯台は大正12年の関東大震災で倒壊し、現在のは大正14年に再建されたもの。第2次世…

館山から来れば犬石を左折(東)し、1.5km進むと小塚大師がある。曼荼羅山金胎寺遍智院というのが正式名で、神戸地区大神宮の字小塚にあることから一般に小塚大師と呼ばれ親しまれている。 弘仁6年(815)に弘法大師により創建された真言宗智山派の…

安房佐野のバス停近く、街道沿いの房南中学校の脇に館山海軍砲術学校跡の表示がある。平和祈念の塔500mと書いてあるので稲田の中を進んでいったが、突き当りになってもその後表示がなく、村人に聞いてようやく塔に着くことができた。 中学校から奥に広が…

洲宮神社と藤栄寺の中ほどの街道沿いに萬徳寺という表札があった。幟には常楽山萬徳寺、釈迦涅槃佛とあり、門構えからして胡散臭そうな雰囲気があったが、ともかく急坂を登って行った。 500円の拝観料を払うと、広場に大きな涅槃仏が横たわっているのが見…