半坪ビオトープの日記

2016-01-01から1ヶ月間の記事一覧

都萬神社

西都原古墳群に向かって、西都市の中心地妻の市街地を北に抜けると、都萬神社の森が見える。近くに屯倉設置の推定地や日向国の国府跡もあり、古代の中心地で日向国総社ともされる。なお、本居宣長以来古くから、当地の地名「妻」を『魏志倭人伝』に見える「…

巨田神社

宮崎市の最北部、佐土原から西都市に向かう途中、静かな農村の外れの森に囲まれた一角にポツンと巨田(こた)神社が鎮座している。 巨田神社の創祀は不詳だが、天長8年(831)に飛箟原に白羽の矢1対が飛来したため、そこに祠を建てたのが創祀と伝える。初…

宮崎神宮

宮崎神宮の駐車場から参道に出るとすぐに大きな三の鳥居が建っている。単純明快な形の神明鳥居である。正面突き当たりには、大きな神門が見える。神武天皇を祀る宮崎神宮は昔、神武天皇宮または神武天皇社といわれていたので、地元では今でも「神武さま」と…

青島神社

宮崎県南部から都井岬に至る国道は日南フェニックス道路と呼ばれるが、その最北部に青島海岸が位置する。陸繋島になりつつある青島の対岸に当たる青島海岸は、海水浴場としても知られる。 青島は、周囲860m、面積約4.4ha、高さ約6mの島で、青島海岸から弥生…

鵜戸神宮、本殿

本殿がある岩窟は、東西38m、南北29m、高さ8.5mの海食洞で、参拝するには崖に沿った石段を降りる必要があり、神社としては珍しい「下り宮」の形となっている。 中世以後、鵜戸大権現は伊東氏や島津氏などの在地領主の崇敬を受け、永禄3年(1560)に伊東義祐…

鵜戸神宮、楼門

油津から北東に10kmほど日南海岸を進むと、鵜戸神宮のある鵜戸崎の海岸には、鵜戸千畳敷奇岩がある。宮崎県南部の海岸によくある鬼の洗濯板だが、ここの洗濯板は典型的な波状岩で、その広さから県指定天然記念物になっている。 駐車場脇の参道入口に、剣法発…

駒宮(平山)神社

吾平津神社の2kmほど北の平山に、駒宮神社がある。祭神として神武天皇を祀り、『記紀』の伝承に由縁をもっている。平山にあるので平山神社とも呼ばれるが、地元では「駒宮さん」の名で親しまれている。一の鳥居には駒宮神社の扁額が掲げられている。 駒宮神…

油津、吾平津神社

かつては江戸時代の名産品・飫肥杉の出荷港として栄え、昭和初期には東洋一のマグロ漁港として賑わった油津は、古くは油之津とも呼ばれていた。宮崎市田野町甲の天建神社縁起書に、百済の王が油津に漂着した伝説が記載されている。遣唐使の時代から日本と中…

飫肥城跡

都城の南東に進むと、日南市の飫肥(おび)に至る。日南の小京都と呼ばれる飫肥城下町は、重要伝統的建造物群保存地区に九州で初めて国の選定を受けた町並みである。大手門通りの突き当たり手前右側には、小村記念館がある。日露戦争後のポーツマス条約の締…

都城島津邸

霧島神宮から南東に進むと、宮崎県の都城に至る。都城市は平安時代、国内最大級の荘園、島津荘の中心地であった。源頼朝から三州(日向・薩摩・大隈)守護職に任命された惟宗(これむね)忠久は、建久7年(1196)島津荘地頭職を兼ねて荘政所に赴任し、島津…

霧島神宮

前日は雨で霧島山麓・高千穂河原・えびの高原散策が残念ながらできなかった。翌朝も山間に湯煙をあげる霧島温泉だが、なんとか霧も晴れていきそうだ。 霧島神宮に着く頃には随分晴れ上がってきた。社務所の前にはオガタマノキ(招霊木)が植えられている。日…

霧島町蒸留所、地鶏みやま

隼人町から霧島山麓に向かう途中、酒屋の看板に「隼人」の文字が目に入ったので立ち寄った。芋焼酎専門の日当山醸造が、隼人町特産品協会推薦品に認定されているという焼酎「隼人心」を造っている。鹿児島県産の「黄金千貫」という芋を使っている。これも含…

石體神社、卑弥呼神社

鹿児島神宮の参道から用水路沿いの北西に、摂社の石體(しゃくたい)神社がある。鹿児島神宮の旧地と伝えられ、安産・子授けの神として信仰を集めている。 鹿児島神宮の祭神となった、天津日高彦穂穂出見尊および豊玉比売が都として高千穂宮を経営した正殿の…

鹿児島神宮

隼人塚の2kmほど北に、鹿児島神宮がある。石橋を渡ると両側に御門神社が構えている。左の御門神社は、祭神として櫛磐窓命を祀り、右の御門神社は、祭神として豊磐窓命を祀る。石段を上ったところに社殿がある。 右手に雨之社が鎮座している。祭神として豊玉…

隼人塚

鹿児島湾(錦江湾)の最奧部から霧島山麓にかけて広がる霧島市には、約9500年前の縄文時代早期前葉の竪穴住居群からなる上野原遺跡をはじめ、多くの遺跡や史跡が存在する。中でも異彩を放つのは、隼人町内山田にある隼人塚であろう。『古事記』では火照命い…

仙巌園、鶴嶺神社

仙巌園の中央、やや高台に中国風の東屋・望嶽楼が建っている。江戸時代初期に琉球国王から薩摩藩に贈られたと伝わる。床には秦の阿房宮の床瓦を模した磚(せん)と呼ばれる273枚のタイルが敷かれ、内部の壁には王羲之の書を模したといわれる額が掲げられる。…

仙巌園、曲水の庭

明けましておめでとうございます。昨年は山歩きが少ししかできず物足りなかったが、四国や南九州など頻繁に旅行して忙しく歩き回った。今年はもう少し山歩きを増やしたい。まだ南九州が続いていますが、数日、正月休みにします。 城山の3.5kmほど北東に、島…