半坪ビオトープの日記

2015-09-01から1ヶ月間の記事一覧

延暦寺、西塔

東塔から北へ1kmほどのところに、延暦寺西塔がある。第2世天台座主寂光大師円澄によって開かれた。本堂にあたる釈迦堂を中心に、修行のお堂である担い堂などが点在する。担い堂や釈迦堂に向かうとすぐに五重照隅塔があり、近くに小さな箕淵弁財天がある。…

延暦寺東塔、文殊楼

根本中堂の真東の高台に建つ文殊楼は、延暦寺の山門にあたり、徒歩で本坂を上ってくると、まずこの門を潜ることになる。慈覚大師円仁が中国五台山の文殊菩薩堂に倣って建立を開始し、円仁示寂後の貞観6年(864)に創建したものだが、その後何度も焼失し寛文…

延暦寺東塔、根本中堂

大講堂前からさらに進むと、広場の右手に一隅会館という休憩所があり、その右手前に萬拝堂がある。萬拝堂は、日本全国の神社仏閣の諸仏諸菩薩諸天善神を勧請し、合わせて世界に遍満する神々をも共に奉安し、日夜平和と人類の平安を祈願しているという。 萬拝…

延暦寺東塔、大講堂

比叡山延暦寺は、滋賀県大津市の西部、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。平安時代初期の僧・最澄(伝教大師)により開かれた日本天台宗の総本山であり、日本仏教の母山とも呼ばれる。一般に比叡山または叡山と呼ばれ、また北嶺とも称された。 比叡山延…

三井寺、微妙寺

灌頂堂の前を左に進むと、唐院の表門いわゆる唐院四脚門から唐院を出ることになる。見返れば、四脚門の中に灌頂堂が見える。重文に指定されているこの四脚門は、寛永元年(1624)に建立され、当初は棟門形式だったのが、まもなく四脚門に変更されたとされる。…

三井寺、一切経蔵

閼伽井屋の裏手に進むと、右手に熊野権現社が建っている。智証大師が入唐求法され、大峰・熊野三山に入峯練行された事績に則り、平治元年(1159)当地に熊野権現を勧請し、三井修験道の鎮神とされた。現社殿は天保3年(1837)の再建である。本尊として、吉…

三井寺、金堂

琵琶湖を見下ろす園城寺は、古くから日本四箇大寺(東大寺・延暦寺・興福寺・園城寺)の一つに数えられ、延暦寺を総本山とする天台宗山門派とは別れている、天台寺門宗の総本山である。山号は長等山で、一般には三井寺と呼ばれている。 一般に仁王門と呼ばれ…

石山寺、多宝塔

経蔵の左に宝篋印塔が二つ建っているが、詳細は不明である。 経蔵の右側にも宝篋印塔がある。こちらの珍しい三重宝篋印塔は、高さ260cm、花崗岩製の鎌倉時代中期の作で、重要美術品に指定されている。初層軸部には、像高約20cmの蓮華座に坐す顕教四仏を半肉…

石山寺、本堂

拝観受付の先、すぐ右手に小さな池があり、石山寺の特徴である硅灰石でできたくぐり岩が見える。10mほどの自然にできた胎内くぐりの穴だが、狭くて岩に触れ服が汚れる。 くぐり岩の先で右手の石段を上がると、途中左手に社が建っているが、詳細はわからない。…

石山寺、大黒堂

湖南で泊まった翌朝、大津市の石山寺を訪れた。駐車場から東大門へ向かう途中、左手の植え込みに芭蕉の句碑があった。 「石山の石より白し秋の風」元禄3年(1690)芭蕉は石山寺のそばの幻住庵に一夏を過ごしているが、この句は元禄2年、加賀の那谷寺で詠ま…

永源寺、法堂

鐘楼の左手にある大きな方丈は、明和2年(1765)に建立され、国内屈指の葭葺屋根の広さ(約1000㎡)が有名だが、残念ながら修理中でまったく拝観できなかった。鐘楼の先には禅堂が建っている。禅堂ではもちろん座禅が行われる。 「普照」と書かれた額が掲げ…

永源寺、山門

西明寺・金剛輪寺・百済寺の湖東三山は、関西屈指の紅葉の名所としても知られるが、三山の南に位置する永源寺も近江随一の美しさと称される紅葉のトンネルが有名で、合わせて紅葉の時期には大勢の参拝客で賑わう。永源寺は愛知(えち)川(音無川)右岸にあ…

百済寺、本堂

歴史を感じさせる石垣参道に合流し、古い石畳を踏みしめながら上っていくと、仁王門が見えてくる。旧本坊喜見院跡が参道の右手にある。参道両側にはかつては約300坊あったという僧坊跡が残されているが、こうした広い百済寺境内は、国の史跡に指定されている…

百済寺、庭園

湖東三山の西明寺、金剛輪寺は、歴史を感じさせる庭園もあり、本堂内の仏像も見応えあったが、参道が長くて境内も広く、湿気も多くてとても疲れた。予定していた最後の百済寺は諦めて、後日、帰りがけ最後に参観したが、ここに続けて紹介しておく。 湖東三山…

金剛輪寺、本堂、三重塔

本堂まで続く長い参道の脇には「千体地蔵」と呼ばれる小さな地蔵菩薩が無数に並んでいる。それぞれの地蔵菩薩には家々の名前が書かれており、その数は2000体を越えるともいわれる。よく見かける水子供養に限らず、家内安全とか学業成就など思いは多様である…

金剛輪寺、明寿院庭園

湖東三山の真ん中の寺・金剛輪寺は、西明寺のすぐ南に位置する天台宗の寺院で、山号は松峯山、地名から松尾寺ともいう。駐車場近くの総門(黒門)をくぐると、すぐ右側に拝観受付がある。庭園は200m先だが、本堂は15分ほど参道を上がるという。本堂まで車で…

西明寺、三重塔

本堂の右手(南)に三重塔が建っている。鎌倉時代後期、飛騨の匠が建立した桧皮葺和様の、釘を使わない総檜の建物で、国宝に指定されている。総高は23.7m、逓減率が小さいことと、二重目・三重目の塔身の立ちが低いことが特徴とされる。一般に銅製が多い相輪…

西明寺、本堂

湖東三山は、琵琶湖の東側、鈴鹿山脈の西山腹に位置する、西明寺・金剛輪寺・百済寺の三つの天台宗寺院の総称である。百済寺の南東に位置する永源寺とともに紅葉の名所として知られている。惣門の南を左に折れ、名神高速を越えて坂を上り、長い参道の途中に…

多賀大社、金咲稲荷神社

社務所の左奥に進むと絵馬殿、鐘楼があり、さらに奥には夷神社、日向神社などもあるが、奥書院を見た後、また拝殿前に戻る。右手前には神馬舎があり、白馬像が奉納されている。 神馬舎の先には能舞台が建っている。正月の初神楽や例大祭、万灯祭などの年中行…

多賀大社、奥書院

多賀大社の社殿は、元和元年(1615)に焼失したが、寛永10年(1633)に徳川家光が再建を命じ、5年後に完成した。ところが安永2年(1733)、天明2年(1782)にも火災に遭い、寛政3年(1791)には暴風で社殿が倒壊した。だがその都度彦根藩及び幕府から手…

多賀大社、拝殿

彦根城から南東、数Kmのところに滋賀県第一の大社、多賀大社がある。古くから「お多賀さん」の名で親しまれ、年間170万人の参拝者が訪れる。 天正16年(1588)に、多賀大社への信仰篤かった豊臣秀吉が「3年、それがダメなら2年、せめて30日でも」と母の延…

彦根城周辺

天守を見学した後、北東にある黒門へ向かうため黒門山道を下り始めると井戸曲輪がある。弧状に築かれた小さな曲輪の北東隅には塩櫓が築かれ、周囲は瓦塀が巡っていた。塩櫓のそばには方形と円形の桝が現存しており、石組み溝で雨水を浄化し貯水する井戸と考…

彦根城、天守から

徳川四天王の一人・井伊直政は、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの後、その軍功により18万石にて近江国北東部に封ぜられ、西軍指揮官・石田三成の居城であった佐和山城に入城した。直政は中性的な古い縄張りや三成の居城であったことを嫌い、湖岸に近い磯山に…