半坪ビオトープの日記

2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧

青海島、仏岩

平家台の東には巨大な岸壁が突出していて、その下に観音洞がある。長さ54m、高さ6〜9m、最大幅20m、入口8mで、船がようやく通り抜けられる。洞の中間左側に女性観音と呼ばれるところがある。 観音洞を抜けたところに巨大な岩が屹立していて、男性観音…

青海島、黄金洞

長門市仙崎の北の日本海に青海島(おおみじま)があり、仙崎港から島の外周を一周する観光遊覧船が就航している。 青海島は、面積14㎢、周囲は約40km。本土との間は青海大橋で連絡されている。青海大橋は、仙崎砂州の先端と青海島の王子山公園とを結び、昭…

大寧寺、大内義隆墓所

山門跡から西へ大寧寺の境内を、提灯の並ぶ道に沿って進むと鳥居の先に、長門豊川稲荷神社がある。昭和36年(1961)愛知県妙厳寺の守護神豊川稲荷が勧請祭祀された。祭神は仏法を護持する叱枳尼真天(だきにしんてん)という仏で、福徳成就の大請願をもつ。…

大寧寺、本堂

萩市観光の後は長門市の湯本温泉に泊まり、翌朝早く、温泉街から大寧寺川の上流にある大寧寺(たいねいじ)を訪ねた。湯本温泉は、大寧寺3世定庵和尚の時、長門一宮住吉明神のお告げで寺の東を掘ったところ温泉が湧き出し、衆僧が沐浴に使ったことに始まる…

菊屋家住宅

萩八景の後、萩市内を少し観光した。これは旧毛利家別邸の表門である。建築年代は明治時代、14代藩主・毛利元徳が鎌倉材木座に建てた表門。大正10年別邸とともに萩市内に移築され、昭和49年に現在地に移築された。屋根の両端に鯱の原型といわれる鴟尾(しび…

萩八景遊覧船

萩の城下町を歩く前に、萩八景遊覧船に乗って、海・山・川に恵まれた水の都・萩の景観を水辺から眺めることにした。桜の開花時期のため延長して約1時間となる遊覧船のコースは、萩城跡横の指月橋をスタートし、萩疎水から橋本川に向かう。指月川とも呼ばれ…

東光寺、毛利家墓所

東光寺は萩藩3代藩主毛利吉就が元禄4年(1691)に建立した。吉就の死後、ここを墓所として毛利家の菩提寺となった。 毛利家墓所入り口に、元治甲子殉難烈士墓所がある。元治元年(1864)京都の禁門の変により幕府への謝罪のため、岩国で自刃した福原元福、…

東光寺、大雄宝殿

伊藤博文旧宅から東に向かい、松陰の叔父で松下村塾の創始者である玉木文之進旧宅前をなおも進むと、毛利家の菩提寺として知られる東光寺に突き当たる。仙台藩伊達家の大年寺、鳥取藩池田家の興禅寺と並んで黄檗宗三大叢林のひとつ。黄檗宗の護国山東光寺は…

伊藤博文旧宅・別邸

松陰神社境内のすぐ南に伊藤博文旧宅・別邸がある。博文の旧宅は、木造茅葺き平屋建ての約29坪の小さな家で、典型的な下級武士の住宅である。萩藩の中間伊藤直右衛門の居宅であったが、安政元年(1854)に博文の父・林十蔵が伊藤家の養子となったため、一家…

松陰神社

松下村塾や松陰幽囚の旧宅は松陰神社の境内にあるが、そこに向かう前に大きな石の明神鳥居が建っている。 松陰幽囚の旧宅の後ろに、大きな木造の明神鳥居が建ち、その奥に松陰神社の大きな社殿が建っている。 松陰神社は、吉田矩方(松陰)を祭神として祀る…

松下村塾

萩市の中心部には萩城城下町があって旧藩校明倫館や武家屋敷などが集まっているが、幕末の志士を育んだ松下村塾は松本川を東に渡った旧松本村にあった。松下村塾の周りには今では松陰旧宅や松陰神社、記念館や歴史館、宝物殿至誠館などが取り囲んでいるが、…

萩往還「三島牛」・松陰記念館

山口市から萩市に向かい、萩城下の玄関口にある道の駅萩往還内の「見蘭牛ダイニング玄」で昼食をとる。和牛のルーツといわれる「見島牛」とその血統を受け継ぐ「見蘭牛」を使用した、萩の精肉専門店ミドリヤファーム直営のレストランなので、萩ブランド牛の…

カエル池のカエルたち

山口県の旅はまだ続くが、ここでカエル池のカエルたちのことを報告しておこう。 去年の10月初旬に福島県の山間で見つけたヤマアカガエル3匹は、春になっても一向に姿を見せないので、残念ながら既にカエル池から逃げてしまったようだ。 一方、去年の8月末…

常栄寺、雪舟庭

あらためて本堂への入り口から鐘楼門を振り返ってみると、門の左には庫裏があり、その手前に茶堂がある。 本堂南の南溟庭もよく見ると、手前の苔が枯れて土が剥き出しになっているのが残念である。 これは広島県安芸高田市吉田にあった毛利氏の居城「郡山城…

常栄寺、本堂

山口県庁の北東約3kmに常栄寺があり、山門手前に二蕉庵紫香の句碑が立っている。紫香は幕臣として江戸に生まれた漢方医であり、日露戦争の頃に山口に来住し、晩年をこの近くで過ごした。 「もみじして 落葉して呵々 朽ば哉」 常栄寺は、通称「雪舟庭」と呼…

大内氏館跡、龍福寺

山口県庁から約1km東に大内氏館跡があり、その中心に龍福寺が建っている。龍福寺は、建永元年(1206)大内満盛が創建した臨済宗の寺で、元は白石の地にあって宝珠山瑞雲寺と称していた。延元元年(1336)大内弘直が再建して弘直の菩提寺となった。のち享徳…

枕流亭、露山堂、毛利家墓所  

瑠璃光寺から南にある毛利家墓所へ向かう途中、枕流亭という2階建ての建物がある。元は山口市道場門前にあった旧家安倍家の離れだった。幕末維新の慶応3年(1867)、薩摩藩の重臣小松帯刀、大久保利道、西郷隆盛等が山口入りした際に、土佐脱藩の坂本龍馬…

瑠璃光寺、本堂、資料館

回廊が曲がった所に袴腰の鐘楼があり、梵鐘はそこに吊るされている。鐘楼の下から回廊は坂を上っていく。 本堂の手前に長寿薬師如来堂があり、中央に本尊の長寿薬師如来、左脇に高祖承陽大師(曹洞宗開祖道元禅師)の坐像が鎮座している。入り口左に懸かる百…

瑠璃光寺、五重塔

山口県庁のすぐ北の香山公園に、「西の京・山口」を代表する観光名所、国宝の五重塔で知られる曹洞宗の瑠璃光寺がある。中門には保寧山と山号が大きく掲げられている。中門の両側には袖回廊が巡っている。 中門のすぐ右手前に、瑠璃光寺の鎮守石殿がある。瑠…

木戸神社、サビエル聖堂

山口県庁の1kmほど南西に木戸神社がある。境内には約100本の吉野桜が植えられており、山口市の桜の名所として知られる。 明治維新に功のあった木戸孝允(桂小五郎)は、萩に生まれ幕末には京都や江戸で国事に奔走したが、一時ここ糸米に居を構え、維新後東…

山口市、龍蔵寺

井上公園から西へ5kmほど入った吉敷の山間に、真言宗の古刹・龍蔵寺がある。七福神とか握手地蔵とかの先、鐘楼堂の手前に芭蕉の句碑が立っている。芭蕉が訪れたわけではなく、吉敷毛利家老の家臣たちが建立したものである。「ほろほろと山ぶき散るや滝の音…

湯田温泉、錦川通り

井上公園から東に100mほど行くと、中也の生家跡地に中原中也記念館が建っている。館内には、中也の草稿・日記・書簡・愛用品等の資料が展示されている。中庭や入口へのアプローチなどにも中也の詩の一節を展示したり解説したりしている。 中也記念館のすぐ…