半坪ビオトープの日記

2015-02-01から1ヶ月間の記事一覧

高遠城址公園

高遠美術館に近い南ゲートから高遠城址公園に入ることができる。高遠城は、三峰川と藤沢川に削られた河岸段丘上の突端に位置している。段丘上から見ると平城のように見えるが、他の三方から見ると川岸から80mもの高い丘の上にある山城の姿をしているため平…

高遠そば、高遠美術館

いよいよ分杭峠(1424m)を越えて伊那市に入る。峠の名は、高遠藩が他領との境界に杭を立てたことに由来し、峠には「従是北高遠領」の石碑がある。峠の高遠側に粟沢駐車場があり、分杭峠周辺の散策拠点となっている。近年、ゼロ磁場などと騒がれ観光客も多…

市場神社

大河原地区から再び北に向かって鹿塩地区に戻り、大鹿村の最後に市場神社を訪れた。鹿塩温泉に向かう塩川の分岐点にある市場神社は、小さな塩河公会堂の脇の石段を上っていく。 塩河公会堂の裏には、いわくありげな古びた小さな社が祀られていた。屋根はほと…

中央構造線博物館

ろくべん館のすぐ手前には、大鹿村中央構造線博物館が建っている。建物のほぼ真下を通っている中央構造線と呼ばれる大断層と、大鹿村の岩石標本の展示を中心に、地震と地殻変動、地盤・土砂災害と地形の出来方などを紹介している。 正面の小渋川を北にたどっ…

ろくべん館

御所平から大河原中心部に戻り、小渋川の河原に面したろくべん館に寄ってみた。橋の向こうには大鹿小学校が見え、その裏に大磧神社があり、右手奥に福徳寺がある上蔵地区がある。 ろくべん館とは大鹿村郷土資料館のことで、その名「ろくべん」とは大鹿村に古…

宇佐八幡神社

野々宮神社から信濃宮の下を抜けて東南に続く細い山道を進むと、すぐに小渋温泉を右に分けますます山深くなっていく。渓谷から離れて上っていくと、小渋川の前方に南アルプスの山並みが見えてくる。11月中旬なので既に雪も積もっている。赤石岳(3120m)であ…

福徳寺、野々宮神社

鹿塩川を下り、小渋川に合流する直前に左に曲がって橋を渡ると、左手に村役場があり、右手には小渋川に沿って渓谷が伊那谷に向かっている。 大鹿村南部の大河原地区は、南北朝時代には秋葉街道を経由して、遠江から奈良・吉野の南朝勢力と結びついており、後…

鹿塩温泉

残りの飯田市内観光はまたの機会に譲って、飯田市の北東にある信州で2番目に山奥の村と呼ばれる大鹿村に向かう。古くは諏訪上下社領であったとみられ、南北朝時代には宗良親王が暮らし、後に武田信玄の所領となった。江戸時代には大河原村・鹿塩村の2ヶ村…

元善光寺

下伊那地方は東西交通の要路として歴史を刻み、中心には小京都と呼ばれた城下町の飯田の街並みがある。室町時代に領主の坂西氏が城を築き、安土桃山時代には城下町の原型が出来上がり、以来、中馬街道の宿場としても栄えた。明治時代には日本画家の菱田春草…

小笠原資料館

旧小笠原家の敷地内に小笠原資料館が建っている。金沢21世紀美術館などの作品で知られる、日本の建築家ユニットSANAA(サナア)が設計し、平成11年(1999)に竣工したユニークな建物である。設計者の一人・妹島和世氏の母が小笠原家出身の関係による。SANAA…

旧小笠原家書院

天竜峡から北西に三遠南信自動車道ができて中央自動車道につながったが、それを使わず北西に少し行った飯田市伊豆木に旧小笠原家書院がある。伊豆木小笠原家は、伊那地方で中世以来の名家である松尾小笠原家の一族で、天正18年(1590)本庄に移っていたのを…

伊豆神社、瑞光院

雪祭りとは別に、新野の盆踊りは8月中旬に3晩、夜を徹して行われる。鳴り物を使わずに、唄と手拍子だけで粛々と踊り、最後に旧村境における神送りの儀礼を伴う。それが日本の盆踊りの原型などといわれている。 下伊那南部には、新野の盆踊りと同じように古…

阿南町新野の雪祭り

東栄町から天竜川右岸(西側)に沿って北上し、新野(にいの)峠を越えて長野県下伊那郡阿南町新野に着く。阿南町新野は千石平とも呼ばれた丘陵状の盆地であり、盆地を取り囲む峠は塞の神のいるところだと信じられた。新野は雪祭りが有名で、阿南町や周辺の…

東栄町の花祭り

四つ舞は4名で舞うが、時間も長く洗練された技術が必要で、20〜26歳の熟練した青年が扇、やち、剣の3折の舞を担う。 舞は太鼓の調子、笛の旋律と歌ぐらの音曲が三位一体となって成り立つ。舞の場面ごとに歌い分ける60種類もの歌を覚えることも、想像を絶す…

東栄町花祭会館

鳳来峡のある新城市の東北にあたる愛知県北設楽郡は、奥三河の民俗芸能が残る地方として知られる。中でも有名な花祭りの中心地東栄町には、花祭りを保存伝承する花祭会館がある。 入口脇に置かれている鬼の作品は、アメリカのチェンソーアーティストのブライ…

湯谷温泉

鳳来寺山パークウェイを下って近くの湯谷(ゆや)温泉に泊まる。湯谷を中心に宇連川(うれがわ)の上流・下流約5kmの渓谷を鳳来峡と呼んでいる。その川沿いに広がる、湯谷温泉の歴史は古く、開湯は1300年前であるとされる。 開湯伝説によれば、鳳来寺の開…

鳳来寺

東照宮の石段を下ってさらに先の鳳来寺に向かうとすぐに、元三堂趾という石碑がある。江戸時代後期の三洲鳳来寺絵図や鳳来寺略縁起の景観では、薬師堂(本堂)や三重塔、弘法大師堂、元三大師堂などが描かれているという。 古めかしい狛犬が道端に祀られてい…

鳳来山東照宮

豊田市の香嵐渓から東に進み、静岡県との境に近い新城市の鳳来寺山に向かう。鳳来寺は表参道の石段が1425段あり、徳川家光により建てられた仁王門を見ながら登るのは時間が足りないので、東南から鳳来寺山パークウェイにて山頂駐車場まで車で上る。標高約360…

足助八幡宮

巴川から土産物通りを進み、大駐車場の手前で右に折れると、国道の向こうに木立に囲まれた足助八幡宮が建っている。 木製の大鳥居は寛政12年(1800)に改築されたもので、道路工事のため平成14年に正面から現在地に移動した。 室町時代に書かれた「足助八幡…

三洲足助屋敷、巴川

香積寺の参道を下って行くと、巴川沿いに三洲足助屋敷の家並みが見える。消えゆく昔の山村での生活の様子を再現したもので、わら細工や籠屋・傘屋・桶屋・鍛冶屋・炭焼き・木地屋などで実演が行われる民族資料館的な施設である。 屋敷前の大きなイチョウが見…

香嵐渓、香積寺

巴川沿いの三洲足助屋敷から上がってくる参道に合流してさらに進むと、石段・石垣の上に香積寺が見えてくる。 曹洞宗飯盛山香積寺の開基は、関白二条良基、足助重範の娘・滝野と、孫である成瀬三吉丸基久・基直(成瀬氏の先祖)などで、滅亡した足助氏の菩提…