半坪ビオトープの日記

2014-06-01から1ヶ月間の記事一覧

須須神社

狼煙漁港の南約2kmに標高172mの山伏山がある。古来より、嶽山・鈴ヶ嶽と崇められてきた神体山で、後に山伏修験の霊地として山伏山と呼ばれるようになった。山頂に須須神社奥宮があり、祭神として美穂須須美命を祀る。明治12年の改称以前は、鈴奥大明神・…

禄剛埼灯台

時国家から曽々木海岸に戻ると、そのシンボルとして知られる窓岩がある。板状の岩の真中に直径2mほどの穴があいている奇岩で、この穴から夕日を見るととても美しいという。この辺りの浜には、冬に波の花が大量に発生する。 能登半島北岸を東に進むと、すず…

下時国家

上時国家の下流側に分家の下時国家が建っている。天正9年(1582)能登は加賀前田藩領に、その後、慶長11年(1606)には時国村の一部が越中土方領となり、時国家は二重支配を受けることになった。寛永11年(1634)13代藤左衛門時保は、時国家を二家に分立し…

上時国家

国道249号を曽々木海岸の手前、町野川を渡った曽々木交差点で右折し500mほど行くと、岩倉山を背に2つの時国家が300mほど離れて屋敷を構えている。上流側の町野平野を見下ろす高台に建っているのが、本家上時国家である。 国の重文に指定されている上時国…

輪島朝市

朝市で有名な輪島市街地の入口近くに、輪島漆芸美術館が建っている。世界で唯一の漆芸専門美術館で、古今の陶芸家の珠玉の名品や世界の漆器文化を紹介している。 玄関前にウルシの木が植えられている。ウルシ(Toxicodendron vernicifluum)は、ウルシ科ウル…

総持寺祖院、僧堂

法堂の左手に進むと、放光堂(納骨堂)が建っている。この堂宇は、安政年間に山形鶴岡の総穏寺本堂として建てられたが、総持寺移転に際して特別に献納された由緒があり、当時は大祖堂として中心的な役割を果たしていた。西面する3間堂で、軒唐破風付の入母…

総持寺祖院、法堂

仏殿から慧心廊という廊下を進み、左に曲がると法堂に入る。正式な名称は「法堂(はっとう)」だが、総持寺では、通称「大祖堂」と呼ばれている。法堂は大きすぎるので、先ほど境内中央から見た姿を載せる。総檜造りの大伽藍で、県内でも最大級の建物である。…

総持寺祖院、仏殿

総持寺の住職は五哲が輪番で担当し、5ヶ所の子院(塔頭)の住職も輪番制で決められるなど、明治になるまで輪番制が続き、この輪番制により多くの末寺ができて、総持寺が永平寺に並んで大本山になることができたといわれる。総持寺からは多くの優秀な僧侶が…

総持寺祖院、山門

輪島市門前町に、総持寺祖院がある。かつての曹洞宗の大本山だったが、明治31年の大火で多くを焼失し、明治43年に本山が横浜市鶴見に移転した後、能登の総持寺は祖院と改称された。総門は三松関という。扁額「三樹松関」は、この門のそばにあった3本の龍の…

巌門、洞門

松林を過ぎると、右手に遊覧船乗場に下りていく階段がある。海が荒れていて残念ながら船は欠航だが、左手に巌門洞窟入口がある。 狭い階段を下りていくと、巌門洞窟へ通ずるトンネルが掘られている。 トンネルを抜けると、広々とした洞窟が開けてくる。その…

巌門、鷹の巣岩

和倉温泉のひなびた宿に泊まった翌朝、七尾湾の屏風瀬戸に架かる能登島大橋を渡ってみた。振り返ると、石川県で最も長いという橋の彼方の右手に和倉温泉街が見える。 戻って西に向かい、外浦と呼ばれる能登半島西海岸を、福浦港から北上する。奇岩、奇勝、断…

妙成寺、本堂

妙成寺は数多く寺宝を持つことでも知られるが、中でも永禄11年(1568)七尾出身である長谷川等伯筆の絹本着色釈迦涅槃図が特筆される。毎年の涅槃会の際に本堂正面に飾られる。 本堂は、桁行5間、梁間5間、入母屋造平入杮葺で、正面に1間の向拝を付ける。…

妙成寺、丈六堂

広い境内は時計回りに見ていくのだが、一番奥のさらに右手奥に、釈迦堂が建っている。妙成寺19世の日遼が造営したとされる。桁行3間、梁間4間、重層の入母屋造で、貞享3年(1686)の建立である。昭和56 年に解体修理が完成。寄棟造を重層入母屋造に、桟瓦…

妙成寺、五重塔

仁王門をくぐると石段の上に、背の高い五重塔が建っている。五重塔は、仏舎利を祀る仏塔である。元和4年(1618)前田家御用大工坂上越後守嘉紹を棟梁として建立された。 石段を上らず左手に進むと、開山堂が建っている。1間4面の平屋建て、入母屋造平入り…

妙成寺、仁王門

気多神社から4km北に能登を代表する法華寺院、金栄山妙成寺がある。 日蓮の孫弟子にあたる日像が開祖である日蓮宗の北陸本山で、能登第一の大伽藍を持つ。寺伝によると、永仁2年(1294)日像聖人が師命により妙法を京都に広めんとして佐渡から都上がりの…

気多大社、白山神社

気多大社が初めて文献に見えるのは万葉集である。天平20年(748)越中守・大伴家持が出挙のため能登を巡幸したとき、本社に参詣して「之乎路から直超え来れば羽咋の海 朝凪ぎしたり船楫もがも」と詠んでいる。 気多神社本殿の右手に並んで、摂社白山神社本殿…

気多大社、本殿

日本で唯一、車で走れる砂浜、千里浜なぎさドライブウェイを左に見ながら、金沢からのと里山街道を30kmほど北上すると、能登半島の付け根、羽咋市北方に日本海に面して気多大社が鎮座している。 大鳥居を入ってすぐ左に、折口父子の歌碑がある。右の折口信…

兼六園、瓢池

内橋亭の左手背後の小高い築山は、栄螺山という。13代藩主・斉泰が霞ヶ池を掘り広げた時の土を盛って作った。高さ9m、周囲約90mで、螺旋状の道を上ると、山頂に避雨亭という御亭(おちん)がある。 栄螺山の左の道を下ると、瓢池の畔に出る。この池の周辺…

兼六園、霞ヶ池

明治紀念之標の向かいには、兼六園菊桜が植えられている。日本で一つしかなかった天然記念物、兼六園菊桜の2代目である。 一つの花に花びらが300枚以上つき、菊の花のように咲く。普通の桜と違って、濃紅、薄紅、白と色が移っていくのが特徴という。4月下…

兼六園、徽軫灯籠

5月上旬に金沢から能登半島を中心に北陸の史跡巡りに出かけた。まずは金沢最大の観光地、兼六園を訪ねた。水戸偕楽園、岡山後楽園と並ぶ日本三大名園の一つ兼六園は、池泉回遊式の江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により長い歳月をかけて形…

フライパンでできるカツオのたたき

「カツ代の台所」の料理本から、今でも頻繁に作っている「フライパンでできるカツオのたたき」も載せておきたい。 ① フライパンを熱してサラダ油をひき、刺身用のカツオ1本の表面だけを焼く。 ② 各面に焼き色がついたら、すぐに氷水に入れて冷やし、表面が…

ハヤシライス

「小林カツ代の簡単おかず」の料理本から、作り置き用によく作った、ルーを使わない「ハヤシライス」を久しぶりに作った(4人前)。 ① 牛薄切り肉400gを食べやすい大きさに切り、よくほぐしておく。 ② タマネギ中2個は、角切りにする。 ③ 鍋にサラダ油大1…

二宮赤城神社、本殿

二宮赤城神社の創建は不詳だが、社伝では垂仁天皇の時代に創建されたと伝えられている。建久5年(1194)には源頼朝が社殿を再建し、社領100石が寄進され社運が隆盛した。戦国時代の永禄年間(1558~70)小田原北条氏の兵火に見舞わられ、社殿をはじめ社宝、…

二宮赤城神社、拝殿

赤城山の山麓南面、二ノ宮町に赤城山を背にして、二宮赤城神社が鎮座している。この赤城山麓の二宮赤城神社は、赤城山頂の大洞赤城神社、山腹の三夜沢赤城神社と、延喜式神名帳の名神大社である上野国勢多郡赤城神社の論社となっているが、いまだに確定して…

三夜沢赤城神社

赤城山の南側山腹の三夜沢町に、三夜沢赤城神社が鎮座している。赤城山頂の大洞赤城神社、山麓の二宮赤城神社と、延喜式神名帳の名神大社である上野国勢多郡赤城神社の論社となっているが確定していない。 創建は不詳だが、神社の由緒によれば、上代に豊城入…

大洞赤城神社

吹割の滝から老神温泉の脇を通り、赤城山の北麓を南に上り詰めた大沼湖畔に、大洞赤城神社が建っている。全国に約300社ある赤城神社の本宮と推測される論社の内の一社である。延喜式神名帳の名神大社の上野国勢多郡赤城神社の論社には、赤城山頂に鎮座する当…