半坪ビオトープの日記

2014-04-01から1ヶ月間の記事一覧

弥山山頂、大日堂

くぐり岩をくぐり抜けて不動岩の上に躍り出ると、瀬戸内海に浮かぶ島々が眺められる。正面の大きな島は江田島と繋がっている西能美島であり、その右手前の円錐型の小島は小黒神島である。その右手奥には大黒神島がある。これら二つの島は無人島である。 振り…

弥山本堂、三鬼堂

獅子岩駅から20分ほど歩いて、ようやく左手の石垣の上に弥山本堂を見上げることができる所までたどり着いた。 平らな境内の左手に新しい弥山本堂が建っている。以前の本堂は昭和30年の建築だったが、平成3年の台風で半壊し、その後新築されている。江戸時代…

弥山へ

弥山(みせん)に上るため、大聖院からもみじ歩道を通ってロープウェイ乗場に向う。すると間もなく展望が開けた所に出る。眼下には厳島神社が見下ろせる。 州浜の潮もすっかり引いて、大鳥居の根元まで歩いて近づくことができている。2m近くも藤壷などの貝…

大聖院、摩尼殿

勅願堂のすぐ横に小さな極楽観音堂がある。 極楽観音堂には、約1mの木造の聖観音像が祀られている。大聖院観音堂が百八観音霊場の第17番だが、この小さな聖観音は第18番である。 極楽観音堂の脇から右手を見上げると、高台に摩尼殿が認められる。 摩尼殿に…

観音堂、勅願堂

大聖院の草創は不詳だが、伝承では大同元年(806)空海が宮島に渡り、弥山の上で修行し、三鬼大権現を勧請し開基したという。史実としては確認できないが、近年、弥山本堂周辺から、奈良・平安時代の緑釉陶器や仏鉢などの遺物が発見されている。 大聖院本坊…

大聖院、仁王門

宝物館と金刀比羅神社の間を南の山に向うと、白糸川に架かる朱塗りの滝橋の先に大聖院が見えてくる。 厳島神社の裏を通ってくる滝小路と合流して石橋を渡ると、大聖院の山門、仁王門が構えている。大聖院の建物は、明治20 年(1887)の大火でほとんど焼失し…

大願寺

厳島神社の出口の右手に大願寺の山門と本堂が見える。亀居山放光院大願寺は、かつては亀居山ともいう塔の岡の麓にあり、五重塔や豊国神社(千畳閣)などとともに一大伽藍を形成していたが、当時の遺構は本堂と山門のみである。山門は、元禄年間(1688~1704)…

厳島神社、御本社

海に面する厳島神社の先端、火焼前から振り返って高舞台の脇を戻り、祓殿から御本社に入る。祓殿は、お祓いをするところで、管絃祭の時に鳳輦(ほうれん、神輿)が置かれる場所であり、また雨天時の舞楽奉奏などに使われる。床板は、明治になり浅野藩の藩船…

厳島神社、火焼前

前方に廊下が伸びて突き当たりに右楽房が建っている。桁行5間、梁間2間、一重切妻造檜皮葺。舞楽演奏のとき奏楽する場所で、国宝に指定されている。 左の御本社を見返ると、祓殿の前には一段高い高舞台が設けられている。黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄を廻…

厳島神社、東廻廊

厳島神社の創建は、推古元年(593)佐伯鞍職によると伝えられている。仁安3年(1168)佐伯景弘が厳島神社を崇敬した平清盛の援助を得て、現在のような廻廊で結ばれた海上社殿を造営した。 幅4mの東廻廊に入ると正面には客神社の祓殿が、右手には御本社の…

宮島、大鳥居

桟橋前の広場を神社に向って歩き始めるとすぐに、「厳島合戦跡」の表示がある。天文20年(1551)中国・九州地方に権勢を誇っていた大内義隆は、家臣陶晴賢の謀反により滅亡した。義隆と盟友の毛利元就は、2年後晴賢に対し挙兵したが、戦力的に優勢な陶軍に…

宮島口から宮島へ

3月中旬に広島近辺に史跡巡りに出かけた。東京から4時間新幹線に乗ると広島に着く。そのまま宮島口へ向い、穴子飯の昼食をとる。明治34 年(1901)創業、あなごめしの発祥店、駅前の「うえの」に入り待つこと20分。 先ずは穴子の白焼きを熱燗で。岩塩と生…

スズキのマッシュルームクリームかけ

美味しそうなスズキの切り身を買ったので、マッシュルームクリームソースをかけてみた(4人前)。 ① マッシュルーム10個をスライスし、ニンニク2片、アンチョビ5切れをみじん切りし、細ネギも好みの量をみじん切りにしておく。 ② スズキ6切れに、軽く塩…

キノコと長芋のバター醤油

長芋が余っていたので、キノコとバター醤油で炒めた(4人前)。 ① エリンギ100gを薄くスライスし、マイタケ100gも細かく裂く。 ② 長芋300g(15cm位)を1cm厚さの半月切りにする。フライパンを中火で熱し、バター大2を溶かし、長芋を入れて塩胡椒し、弱め…

小石川植物園

先週末、遅ればせながら友と連れ立ち花見に出かけた。場所は東京の文京区の小石川植物園。 途中、播磨坂という桜並木があったが、残念ながら既にほとんど花が散っていた。 小石川植物園は、東京大学大学院理学系研究科附属の植物園で、約330年前の貞享元年(…

那古寺、観音堂

那古寺縁起によると、養老元年(717)元正天皇の御悩平癒のため、僧行基が老翁の告げにより、ここの海中より香木を得て千手像を刻み、祈念したところ直ちに効験あり、勅願によって山上に伽藍が建てられたとある。参道の正面には、朱塗り本瓦葺の本堂が八間の…

那古寺、多宝塔

帰りがけに館山市の北部、那古山の中腹にある那古寺(なごじ)に立ち寄った。真言宗智山派の寺院で、山号は補陀洛山。安房国札三十四観音霊場第1番、坂東三十三観音霊場第33番の結願寺で、通称は那古観音という。駐車場脇には、昭和9年に建築された本坊が…

八坂神社

花蔵院の東500mほどの鴨川市広場に、八坂神社がある。 それほど広くない境内に、赤いトタン屋根らしき拝殿がぽつんと建っている。 祭神として、素戔嗚尊を祀っている。 本殿の向拝虹梁の竜は、彩色なしの丸彫りで、波の伊八三代目・武志伊八郎信秘の作であ…

花蔵院

鴨川市和泉の広々とした田んぼの奥に、生け垣に囲まれた花蔵院がある。 真言宗智山派の寺院ということだが、創建などの詳細は分からない。 本堂向拝虹梁の丸彫りの竜は、波の伊八三代目・武志伊八郎信秘の作であり、初代に劣らず迫力に富んでいる。竜の下の…

須賀神社

鴨川市の中心地、駅のすぐ北東に須賀神社がある。主祭神として須佐之男命を祀り、罔象女神(ミズハノメノカミ) ・源義家を合祀している。 創始年代は不詳だが、社伝によれば天正年間(1573~93)の頃、京都より勧請したという。さらに明治14年に近くの水神社と…

和田町黒岩の熊野神社

千倉町から鴨川市に向い、和田町の市街地から三原川沿いに北上すると、北三原郵便局の真向かいに黒岩の熊野神社がある。道路から坂道の参道を上っていくと大きな鳥居がある。 鳥居の先の境内の奥、一段高くなってところに拝殿が建っている。 拝殿に近づくと…

荒磯魚見根神社

白間津からさらに千倉駅に向うと千倉の市街地に入る手前、惣戸の集落の西外れに荒磯魚見根神社がある。フェニックスが生える南国的な境内の高台の上に社殿が見える。 石段を上り鳥居をくぐると蘇鉄に囲まれた石段の先に赤い社殿が建っている。 荒磯魚見根神…

白間津の日枝神社

白浜から千倉に向うと、白間津という半農半漁の村落の奥に日枝神社がある。その日枝神社の手前右手に、明治に入るまで日枝神社の別当寺として神社を管理していた円正寺がある。この寺の創建も、神社と同じ延喜年間であると伝えられている。里見氏の信仰も篤…

小網寺

館山から白浜に向った山間に、真言宗の小網寺がある。参道入口左に高さ3mの寺号碑があり、金剛山小網寺の寺号と、側面には小網寺西光寺合併記念と彫られている。関東大震災の翌年に合併し再建した記念に建てられた。 参道を進むと赤い仁王門が建っている。…

小松寺

千倉駅から館山に向い館山市に入る直前に南の山間を進むと、真言宗の壇特山小松寺がある。現在の仁王門と仁王像は、江戸時代末期に川口村(千倉)の名主荒井与平治が寄進したもので、昭和55 年に塗り替えられ、昭和59 年には屋根が改修されている。 仁王像は…

住吉寺

千倉町南朝夷に中嶋山住吉寺という真言宗智山派の古刹がある。住吉寺の名は、左に隣接している住吉神社から名付けられたといわれる。 境内に入ると正面に本堂、右手に庫裡があり、観音堂は左手の急な石段を上ったところにある。 昔は海中の岩上に御堂があっ…

下立松原神社

千倉駅のすぐ西の千倉町牧田の道路脇に下立松原神社がある。鳥居がなく分かり難いが、狛犬の先に石段が見える。 下立松原神社は、千倉町と白浜町にもあり、いずれも「天日鷺命」を主祭神とし、式内社「安房国朝夷郡下立松原神社」の後裔社を称しているが、ど…