半坪ビオトープの日記

2014-01-01から1ヶ月間の記事一覧

喜多方「蔵の里」

喜多方市はかつて「北方」と呼ばれ、江戸時代には物資の集散地として、また若松城下と米沢を結ぶ街道の町として栄えていたが、今では「蔵の町喜多方」と呼ばれている。 しかし土蔵造りの蔵が家並みをなしているのは、喜多方駅の北東約9kmの杉山集落であり、…

願成寺

喜多方駅の北6kmほどの所に、浄土宗多念義派本山の叶山願成寺がある。どっしりと構えている山門は、元禄元年(1697)に建てられた、禅宗様と和様とを混ぜた建築物である。 入母屋造、銅板葺き三間一戸の楼門形式で、上層部に格子戸や連子窓がある。 蟇股には…

喜多方ラーメン

喜多方市(合併前の旧喜多方市)では、人口約37,000人に対し130軒ほどのラーメン店があり、人口比では日本一といわれた。札幌ラーメン、博多ラーメンと並んで日本三大ラーメンの一つに数えられている。 喜多方ラーメンは、昭和の初期に市内ラーメン店「源来…

古四王神社

喜多方蔵の里の西、琴平山の中腹に古四王神社があるというので探したが、上り口が見つからなかった。山の麓の道端に鳥居が見えたので立ち寄ってみた。苔むした扁額をよく見ると、なんとか古四王神社と読み取れる。 右奥にぽつんと社が建っているが、古四王神…

新宮熊野神社本殿

長床の裏手の石段の上に、玉垣を廻らせて新宮熊野神社の本殿が東を向いて建ち並んでいる。 本殿中央には本社新宮証誠殿が建っている。新宮熊野神社が当地に勧請されたのは応徳2年(1085)の時で、熊野堂村(現河東町)から移された。当初はこの地に新宮が、…

新宮熊野神社長床

喜多方市役所の西南、慶徳町新宮に新宮熊野神社がある。新宮と称しているが、本宮・新宮・那智の熊野三山を祀っている。 新宮熊野神社は、社伝「新宮雑葉記」によれば、源頼義・義家父子が天喜3年(1055)「前九年の役」で陸奥征討に赴く際、武運を祈って紀…

心清水八幡神社

恵隆寺の西隣に心清水八幡神社がある。塔寺集落にあるこの寺社は、江戸時代まで堂方・宮方と区別されながらも一体として運営されていた。明治初年の神仏分離令によって一寺一社になった。 駐車場のすぐ西に参道があり、正面には二の鳥居と社殿が見渡せるが、…

立木観音、旧五十嵐家住宅

恵隆寺は、伝承によれば、欽明天皇元年(540)に梁の僧・青岩が高寺山(寺の北西)に庵を結び、その後、舒明天皇6年(634)に僧・恵隆が恵隆寺と名付けたという。また、「会津風土記」(寛文6年〈1666〉成立)によれば、大同3年(808)空海の意を受けて坂…

恵隆寺、三仏堂

昨年の10月中旬に、福島県の喜多方から裏磐梯、二本松などを巡った。磐梯山や安達太良山に登りたかったが、会津地方は強風や雨が予想されていたのであきらめた。 磐越自動車道を猪苗代湖の遥か西、会津坂下ICで下りて4kmほど戻った会津坂下町に、金塔山恵…

牛すじの赤ワイン煮

美味しそうな牛すじ肉を買ったので、じっくりとル・クルーゼで赤ワイン煮にした(4人前)。 ① 牛すじ肉600gを一口大に切り、たっぷりの水と一緒に鍋に入れて火にかけ、一度茹でてこぼす。アクを取り除き、水で洗う。 ② 牛肉を鍋に戻し、たっぷりの水を入れ…

サケのちゃんちゃん焼き

サケが美味しい季節に、野菜たっぷりのちゃんちゃん焼きを作った(4人前)。 ① 生サケ4切れは、軽く塩胡椒しておく。 ② ニンジン1/3本、ジャガイモ2個を切り分けレンジで加熱しておく。 ③ タマネギ1個、シメジ・シイタケ・マイタケ適量を切り分ける。 ④ …

成島八幡神社

堂森善光寺は米沢市街地の南東にあるが、正反対の北西の外れに、米沢で最も古い由緒を伝える成島八幡神社がある。鬼面川西岸の丘陵上に位置し、成島八幡宮ともいう。鳥居の先には小さな社が祀られているが、参道はその前を左に曲がって伸びている。 境内は鬱…

十王堂、前田慶次供養塔

平成10年に十王像、地蔵菩薩、奪衣婆像を復元修理し、仁王門から阿弥陀堂へ通じる参道に十王堂を建立した。十王とは、人が死後、亡者となって冥界に行き取り調べを受けるときの裁判官である十人の王のことである。 亡者は、初七日は「泰広王」二・七日は「初…

堂森善光寺

米沢市万世町堂森にある松心山光照院善光寺は、真言宗豊山派の寺院で出羽善光寺とも呼ばれている。元禄8年(1695)に描かれた古図、米陽八景の一部・堂森秋月の図(市立米沢図書館蔵)の中に、当時の仁王門が見られる。しかし宝暦13年(1763)の火災で焼失…

湯の沢間欠泉

米沢の東から南にかけては、白布温泉などの米沢八湯があるが、米沢の西の方にも飯豊、小国の秘湯がいくつかある。飯豊町にある湯の沢間欠泉湯の華は、飯豊山(2,105m)の東、飯盛山(1,596m)の麓、標高800mにある秘湯である。米沢市内からは西に約40km山の…

上杉家菩提寺

こちらは杉原常陸介親憲の墓である。上杉麾下十三人衆の一人で、川中島の戦いにて武功を挙げて謙信より賞賛され、越後国北蒲原郡水原を本拠とする水原氏を継ぐことを許され、後に杉原と改名した。 武田家墓所の左側には、門と柵で囲まれた上杉家墓所がある。…

林泉寺、直江兼続墓所

上杉神社の南に曹洞宗の春日山林泉寺がある。明応5年(1496)越後守護代の長尾能景が、亡父重景を祀るため春日山城(上越市)の麓に創建・開基した林泉寺を元とする。上杉氏の転封に伴い、上杉景勝の実母(謙信の姉)仙洞院が、元和3年(1617)に米沢に移…

法音寺

上杉家廟所のすぐ手前に八海山法音寺がある。上杉家歴代藩主の菩提寺で、真言宗豊山派の寺院である。ちなみに、真言宗寺院を菩提寺とする大名は、上杉家だけであるという。 境内に入るとすぐ右手の建屋の中に、延命子育聖観世音菩薩が立っている。その左には…

歴代藩主廟

戦国武将の中でも名高い上杉謙信が越後国春日山城に没すると、その遺骸は甲冑を身に纏った姿で甕に納められ漆を流し込んで埋葬された。後継者の上杉景勝が越後から会津、さらに米沢と移動の際にも、謙信の霊柩も一緒に運び、米沢城本丸に御堂を建立しそこに…

米沢藩主上杉家墓所

米沢市街地の西端に上杉家廟所がある。先ほどの法泉寺のほか林泉寺にも小さな上杉家廟所があるが、ここは国の史跡に指定されており、史跡名は米沢藩主上杉家墓所という。米沢市民は敬意を込めて「御霊屋(おたまや)」と呼んでいる。 上杉家の家紋は「竹に雀…

文殊堂、庭園

法泉寺の北境内奥の文殊堂は、二代目の絶山和尚が学問所・禅林文庫の鎮守として、慶安元年(1648)に切戸の文殊(京都府宮津市)を勧請したと伝えられている。元禄2年に立派なお堂が建てられたが、寛政元年、大正6年と二度の火災に遭い、現在の文殊堂は昭…

法泉寺、先聖殿

白子神社のすぐ西の堀立川を渡った所に恵日山法泉寺がある。元和4年(1618)上杉景勝を開基として、直江兼続によって創建された臨済宗妙心寺派の寺院で、当初は禅林寺と称した。兼続は那須黒羽の名刹・雲厳寺の九山和尚を呼び寄せ、兼続や足利学校で九山が…

白子神社

上杉神社の真北、米沢警察署の左隣に何やら古めかしい白子神社がある。 江戸時代の城下地図より、旧名は白子大明神とわかる。一の鳥居をくぐると左手に小さな末社が祀られているが詳細は分からない。この神社が養蚕に由来するので、蚕菅神社あるいは蚕影神社…

東源寺、北山原殉教遺跡

米沢市内北の北寺町通りに、曹洞宗の萬用山東源寺がある。文明8年(1476)、僧覚永により信州水内郡泉郷に創建され、上杉氏の家臣となった尾崎氏とともに、会津、米沢と移転し、正保2年(1645)米沢の恩人直江兼続の霊を祀るため、当地に伽藍を建立し兼続…

松岬神社、上杉博物館

上杉神社から戻って来ると、舞鶴橋を渡って左手に松岬神社がある。上杉神社の摂社である。 上杉神社に合祀されていた上杉鷹山は、明治35年(1902)二の丸御殿跡に設けた松岬神社に移されたので、この年を創建とする。 その後、上杉景勝、直江兼続、鷹山の師…

福徳稲荷神社

明けましておめでとうございます。また、米沢の史跡巡りを続けます。 上杉神社再建の設計者である伊東忠太は、明治神宮や平安神宮の設計でも知られる。 忠太自身が「殊に本殿廻りの一区はよく引きしまり落ち着きがあって清純純潔の感が深い」と感想を述べて…