半坪ビオトープの日記

2013-06-01から1ヶ月間の記事一覧

三徳山、文殊堂、地蔵堂

登山道はすぐに土嚢が積まれた急坂となるが、その入口に結界石が立っていて、「忌穢不浄輩禁登山」と書かれている。 木の根っこの道を上ると、正面に古めかしい野際稲荷(十一面観音堂)が建っている。一間社切妻杮葺きの春日造風の建物である。野際稲荷の左…

三徳山三佛寺、本堂

本堂の左手前には、香炉と大きな狛犬があり、脇の立て札には「山上の地蔵堂が遥拝できます」と書かれている。見上げると地蔵堂の屋根がわずかに見える。 本堂の右手前には、青銅馬像、釈迦正覚の聖木とされる菩提樹、狛犬、地蔵菩薩像が並んでいる。 天台宗…

三徳山三佛寺、宝物殿

倉吉の町の東南10km弱の三朝川沿いに、平安時代末期開湯と伝えられ世界有数のラジウム泉として名高い三朝温泉がある。そこで泊まった翌朝、三朝川の上流の三徳山(900m)の山麓にある三徳山三佛寺を訪ねた。深い渓谷から三徳山の姿は見えないが、木々に覆わ…

倭文神社、本殿

ひっそりとした境内を進むと、堂々とした拝殿が構えている。 倭文神社の創建年代は不明であるが、伯耆国一宮である。文献上の初見は大同3年(808)の医学書「大同類聚方」とされる。延喜式神名帳(922)にも名が見え、天慶3年(940)には従三位から正三位…

倭文神社、経塚

日本海近くの湯梨浜町東郷池畔にある羽合(はあい)温泉の対岸の山、御冠山の西麓に倭文(しどり)神社が鎮座している。 石段を上っていくと随神門の前に鳥居がある。享保12年(1727)建立の明神鳥居で、扁額には「伯耆一ノ宮倭文神社」と浮き彫りされている…

倉吉、白壁土蔵

倉吉の町は室町時代に打吹城の城下町として形成され、江戸時代には陣屋を中心に武家屋敷が設けられて、当時「町屋十八町」といわれた。その旧市街地が今では「倉吉市打吹玉川伝統的建造物群」という保存地区となっている。 倉吉白壁土蔵群・赤瓦観光コースの…

長谷寺、本堂

参詣途中に見たように、長谷寺本堂は、典型的な懸造であり、室町時代末再築の寄棟造の五間堂である。数度の改変を経て江戸時代後期に現在の形に定まった。 『伯耆民談記』等に伝える寺伝によれば、養老5年(721)法道を開山として創建されたという。当初は…

長谷寺、仁王門

打吹城跡のある打吹山の西麓、八幡神社より打吹山の近くに天台宗の打吹山長谷寺がある。 境内は打吹山山腹、打吹城越中丸跡近くの斜面にあるので、300mほど山に分け入る感じで上っていく。 石段と坂道を上っていくと、参道の左手十数mのところに何やら建って…

倉吉八幡宮

倉吉市役所のある旧市街地の南には、山名氏が築いた打吹城跡のある打吹山(204m)が秀麗な姿を見せている。その西麓に八幡神社がある。一の鳥居の先に随神門が見える。 かなり大きな境内に入ると、すぐ右手にまた小さな鳥居があって、小さな境内社が二つ祀ら…

永昌寺

関金温泉から倉吉市街地に向い数km手前の東、岩倉に曹洞宗の永昌寺がある。十三重石塔や宝塔などで知られる。 門前右手には、近くの岩倉城跡周辺で出土した、鎌倉時代から南北朝時代の石仏や五輪塔、宝篋印塔、宝塔などがたくさん集められている。 久宝山永…

大滝山地蔵院

犬挟から山を下ると、江戸時代に湯関宿と呼ばれていた倉吉市関金の町に着く。弘法大師空海によって開かれたと伝えられる関金温泉の最奥部に、「関の地蔵さん」と呼ばれ地元の信仰の篤い大滝山地蔵院がある。 細長い境内の一番左には、方丈の大師堂が建ってい…

大山、蒜山

中渡りの道を進むと、大山の夏山登山道と交差する。突っ切ると左にひっそりと洞明院が建っている。西明院谷寺院群に属し、現在は宿坊となっている。入口の門は江戸時代初期のものと伝えられ、花や猿の緻密な彫刻が施されている。洞明院の先を左に折れて上り…

大山寺、中渡り

大山寺参道から東に分かれ、佐陀川の南光河原を渡って、大山寺の支院がいくつかある西明院谷寺院群へ向う。すると道端にイカリソウ属の花が咲いていた。初めて見るが、これは主に太平洋側に自生するイカリソウとは違う、トキワイカリソウ(Epimendium semper…

下山神社

大神山神社奥宮の左奥に、末社の下山神社がある。元徳2年(1330)備中郡司渡邊日向守の子、照政が参拝の帰路奇禍に遭い不慮の最期を遂げたのを里の人々が憐れみ、大山下山の地に小祠を建て下山善神と呼んでいたが、数々の霊験があり、この地に奉還したとい…

大神山神社、奥宮

金門の上流は谷がやや広く、賽の河原という。新緑の先には、まだ雪渓がたくさん残る大山の険しい北壁が元谷の上に聳えている。 アップして一番左に見える峰が天狗ヶ峰(1710m)、正面に見える峰が剣ヶ峰(1729m)で、その右の弥山(1709m)は木に隠れて見え…

大山寺、金門

明治の廃仏毀釈により大山寺号は廃絶となり、当寺の十三堂塔三院谷四十二坊も急激に衰退し、建物も取り壊され、今は四つの参拝堂と十の支院を残すのみとなっている。本堂の右奥には鐘楼堂が建ち、鎌倉時代の作といわれる「開運鐘」が架けられている。 本堂の…

大山寺、本堂

二日目に泊まった鳥取県米子市の皆生温泉は、日本海に面した温泉なのだが、残念ながら宿からは海が見えなかった。朝から伯耆大山に向う。 『出雲国風土記』に「火神岳(ひのかみのたけ)」と呼ばれた神話の昔から、西伯耆に聳える大山(1729m)は、この上な…

足立美術館

戦国時代に山陰の覇者として名を馳せた尼子氏の居城、富田城跡の2kmほど手前に、横山大観の作品と日本庭園で有名な足立美術館がある。 入館してすぐに見える「苔庭」は、杉苔と赤松を中心に白砂と組み合わせた京風の雅な庭に仕立てられている。 足立美術館…

仲仙寺古墳群

揖夜神社から東へ向い安来市に入ると、弥生時代後期(1〜3世紀)から古墳時代末期までの古墳が集中して残されている。 仲仙寺古墳群、造山古墳、塩津神社古墳などが古代出雲王陵の丘として整備されていて、さながら古墳の野外博物館のようである。 なかで…

揖夜神社

意宇六社の真名井神社や六所神社を飛ばして、東出雲町揖屋に鎮座する揖夜(いや)神社を訪れた。記紀神話に登場する、黄泉比良坂の比定地に近い。 揖夜神社は、『出雲国風土記』の「伊布夜社」、『延喜式神名帳』の「揖屋神社」に比定される。 随神門の手前…

神魂神社、貴布禰稲荷両神社

神魂神社は、意宇六社の一社という。意宇六社とは、神魂、熊野、揖夜、真名井、八重垣、六所神社である。今回は半分しか回れなかったが、次の機会には残りの神社と、出雲国府跡など風土記の丘をもう少しゆっくり観て回りたいものである。本殿の左右には境内…

神魂神社、本殿

八重垣神社の東1km余りの所に、神魂(かもす)神社がある。かなり長い参道があり、これは境内直前の二の鳥居である。 石段はだんだん急勾配になり、階段上に社殿が見える。神魂神社は、天正11年(1583)には末社ともども焼失し、毛利輝元により再建された。…

八重垣神社、奥の院

須佐神社と同じように八重垣の宮を造ったことから、ここにも八重垣の歌碑がある。 随神門の左にある宝物館には、神社の障壁画としては最古級といわれる、元本殿内にあった壁画=板絵著色神像が収められている。 素盞嗚尊と稲田姫命など6神像が描かれ、国の…

八重垣神社、拝殿

松江駅の南数kmの佐草町に、縁結びの神で有名な八重垣神社がある。 随神門の脇にいる狛犬は、来待石製の出雲式座型狛犬である。八重垣型ともいわれ、かなり風化しているが、年代も作者も不明である。 社伝によれば、当地は素盞嗚尊が八岐大蛇を退治した時、…

須佐神社、天照社

拝殿の手前右手奥に、須佐神社の七不思議の一つ、塩ノ井がある。須佐之男命自ら潮を汲みこの地を清めたという。日本海に続き、満潮の時は付近の地面に潮の花を吹くという。分析の結果、芒硝含有食塩泉で弱アルカリ性といわれる。 本殿の右手に、小さな稲荷社…

須佐神社、本殿

須佐之男命の終焉の地とされる須佐神社は、出雲市駅の10数km南の山あいにある。『出雲国風土記』には、須佐之男命が諸国を開拓した後に「この国は小さい国だが、最適な国だ。我が名を石や木にはつけまい」といって、御霊をここに鎮めて自分の名を地名にした…

荒神谷遺跡

358本もの大量の銅剣を出土したことで知られる荒神谷遺跡は、出雲市東部の斐川町神庭西谷にある。『出雲国風土記』の出雲郡の神名火山に比定されている仏教山の3km北東、出雲平野最大級の前方後円墳である神庭岩船山古墳の2km南にある。 遺跡周辺は荒神谷…