半坪ビオトープの日記

2013-01-01から1ヶ月間の記事一覧

西光院、立木観音

石岡市の中心から北西に進み、筑波山から加波山に続く山並の山麓あたりに、天台宗の峰寺山西光院がある。入口右手手前には青竹が生い茂っている。 細い道を進むと、庫裏の先の左手に、立木観音が安置されている収蔵庫がある。 木造立木観音菩薩像は、高さ5.9…

常陸国分寺・国分尼寺跡

常陸国分寺跡では、昭和44年以降の発掘調査により、南大門・中門・金堂・講堂が南北一直線に並び、中門から金堂にかけては回廊が巡り、七重の塔が回廊の東側に位置していたことが分かった。 この金堂跡も、現在残されている基壇の約4倍の規模をもつことが明…

常陸国分寺跡

国分寺は、天平13年(741)国家鎮護を祈る聖武天皇の命で、国分尼寺とともに国ごとにおかれた僧寺である。常陸国分寺は、天平15年に起工し、天平勝宝4年(752)に建立された。常陸の守は従三位宮内卿、百済の王敬福が任命された。常陸国分寺は最勝王経10部…

石岡の陣屋門

石岡小学校から市民会館にかけての一帯が常陸国衙跡と推定されている。南北朝時代の正平元年(1346)ここに大掾詮国(だいじょうあきくに)により府中城が築かれた。常陸大掾氏は、常陸平氏本宗の家系で、府中城を拠点に勢力を誇ったが、天正18年(1590)佐…

常陸国総社宮、本殿

常陸国総社宮の境内中央から拝殿に向かって右側には、日本武尊の腰掛石がある。東国平定の際、この地に立ち寄り、この石に腰掛けたという。永享12年(1440)には、太田道灌が陸奥下向の途次、当社に参籠し、武運長久を祈願して次の和歌を詠んだ。総社宮には…

常陸国総社宮、拝殿

昨年12月上旬に、茨城県中央にある石岡市からつくば市・笠間市にかけて、一泊の史跡巡りに出かけた。 最初に着いたのは、石岡市の常陸国総社宮である。古代、常陸国府は現在の石岡市に置かれ、常陸国衙は国内11郡を総括する役所であった。国衙の新任の国司…

ジューシーなタンドリーチキン

ヨーグルトでマリネした柔らかいタンドリーチキンに挑戦した(4人前) ① 鶏モモ肉3枚(720g)を各6枚ずつ位に切り、ショウガ・ニンニク各大1をすりおろす。 ② ボールに鶏肉・ショウガ・ニンニク、ヨーグルト150g、レモン汁大1、サラダオイル大1、砂糖…

かじきのカレークリーム煮

野菜たっぷりのかじき料理を探して、美味しそうなレシピを見つけた(4人分)。 ① かじき4切れを一口大に切り、塩胡椒・カレー粉を振りかけ、ビニール袋で小麦粉をまぶす。 ② フライパンにバター大2を熱し、かじきを炒め、両面こんがり焼けたら取り出す。 …

札幌、二条市場

歩いていける二条市場を見物しながら海鮮丼の店を探した。 二条市場は、明治時代からの歴史ある市場で、カニ、ウニ、ホッケ、ホタテなどの魚介類を売る店が50店ほど並んでいる。 店先で特に目立つのがカニで、タラバガニや毛ガニなどが所狭しと並べられてい…

札幌、時計台

冬の札幌を彩る風物詩として定着している「ホワイトイルミネーション」も、年末には大通会場が雪祭り準備のため終了していた。駅前通りと南一条通りのイルミネーションを大まかに見て回った。 大通公園の突き当たりのさっぽろテレビ塔もイルミネーションされ…

札幌、ジンギスカン・ケレレ

翌日は一日中思いもよらず雨が降る中をなんとか滑り終えて、夕方バスで札幌に出た。ジンギスカンの店を探したが、年末で有名店はどこも予約でいっぱいだった。ようやく探し当てたのは、ラムハウス・ケケレ(QUE QUE RE)という生ラム肉が自慢の店だった。 お…

北海道、ルスツ

年末にスキーにでかけた。体力がだいぶ落ちているので、スキーはしんどいばかりだが、最後かもしれないと北海道のルスツリゾートまで行った。 新千歳空港からバスに乗り支笏湖畔を通り過ぎると、前方に偽羊蹄山とも呼ばれる尻別岳が見えてくる。ルスツには昼…

濃厚クリーム仕立てのビーフストロガノフ

作り置き用も含め6人前で、ビーフストロガノフのレシピを少し変更して調理した。 ① 牛薄切り肉500gを食べやすい大きさに切り、塩コショウして薄力粉をまぶしておく。 ② タマネギ小2個を薄切り、しめじ1パックはばらし、マッシュルーム10個はスライスする…

回鍋肉、サツマイモと鶏挽肉の蒸し焼き

最近人気のウー・ウェンの回鍋肉(ホイコウロウ)のレシピを参考に、辛味を抑えて作った(4人前)。量が少ないので、サツマイモの一品を加えた。 ① キャベツ1/4をざく切りにし、塩少々を加えた熱湯で15秒ゆで、色が鮮やかになったら取り出して水気を切る。…

薬師堂、淡島堂

影向堂の斜向いに、薬師堂が建っている。慶安2年(1649)徳川家光の再建による3間四方のこのお堂は、観音堂の北西、堀の橋のたもとに建てられたので、家光自身が「橋本薬師堂」と名付けた。薬師如来のほか、薬師の十二の大願に応じて現れた分身「十二神将…

影向堂、六角堂

浅草寺本堂の左手(西)に影向堂、薬師堂、淡島堂などのお堂と境内社、石碑等が集まっている。影向堂(ようごうどう)では、聖観音菩薩像を中心に十二支生まれ年の守り本尊八体の像(影向衆)を祀っている。影向とは、影が形に従い、響きが音に応ずるように…

二天門、浅草神社

宝蔵門の右手(東)奥に小高い丘があり、そこに弁天堂が建っている。弁天様は白髪のため「老女弁財天」と呼ばれ、藤沢市の「江ノ島」、千葉県柏市の「布施」とともに、関東三弁天の一つに数えられる。現在の弁天堂は、鉄筋コンクリ―ト造で、昭和58年の再建で…

五重塔、本堂

宝蔵門をくぐって左の浅草寺の五重塔は、天慶5年(942)平公雅が本堂と共に建立した。その後数度、倒壊・炎上に遭ったが、その都度再建された。再建前の塔は、慶安元年(1648)の建立で、本堂と同様関東大震災では倒壊しなかったが、東京大空襲で焼失した。…

浅草寺、雷門

浅草寺表参道入口の総門は、切妻造の八脚門で、向かって右に風神像、左に雷神像を安置することから、正式には風雷神門というが、雷門と通称される。天慶5年(942)武蔵守平公雅により創建されたのが始まりで、現在の門は慶応元年(1865)の大火で炎上した門…

どぜう飯田屋

浅草寺は初詣客でたいへん混雑していたので後回しにして、合羽橋の「どぜう飯田屋」でゆっくり昼食をとった。早めにきたせいか十人ほどしか並んでいなかった。明治開業の老舗らしく下足番がいて、履物を預けて木札をもらう。その木札が座席で回収されて勘定…

三囲神社

スカイツリー駅から線路沿いを隅田公園まで歩く。公園の裏手には、「二峯先生の碑」という大きな石碑が立っている。高林二峯は、上州出身の幕末から明治の書家で、古法帖を研究し独学で一家を成した。石碑上部の篆額は、勝安房とあり勝海舟の揮毫である。 隅…

すみだ水族館

今年の初詣は友と連れ立って浅草寺に行くことにしたが、その前に東京スカイツリータウンにあるすみだ水族館に寄った。いずれ展望台に上る機会は来るだろうと思いながら、水族館の手前からスカイツリーを見上げる。 朝早いせいか水族館は空いていてゆっくり見…

海老とほうれん草のクリーム仕立て

海老にブロッコリー以外の野菜を組み合わせようと、ほうれん草を選んだ(4人前)。 ① ほうれん草(4株)を手でちぎって少量の水、塩胡椒と一緒にソテーし、しんなりしたら皿に取り分ける。 ② 海老(24尾)は殻と尾、背わたを取り除き、背中に縦に切込みを…

スズキのムニエル/ケッパーソース

クレイジーソルトとケッパーソースで、香ばしいムニエルを目指した(5人前)。 ① スズキの切り身(人数分)にクレイジーソルトをしっかりと擦り込む。 ② 切り身に小麦粉をまぶし、フライパンにバター大1.5を溶かし、皮目を下にして中火で焼く。 ③ 時々フラ…

鶏モモ肉とゴボウの黒酢甘辛煮

ゴボウがたくさんあったので探し当てた料理(4人前)。 ① ゴボウ2本は皮をむき、乱切りにして酢水に漬けておく。 ② 鶏モモ肉2枚を一口大に切り、サラダ油大1でフライパンにて皮から焼く。 ③ 鶏肉に両面焼き色がついたら余分な油をキッチンペーパーで拭き…

岩室観音

吉見百穴の入口手前に岩室観音堂がある。弘仁年間(810~24)弘法大師が岩窟を選んで高さ1尺1寸の観音像を彫刻してこの岩窟に納め、その名前を岩室山と号したと伝えられる。 松山城主が代々信仰し護持していたと伝えられており、松山城北側の斜面に建てられ…

吉見百穴

埼玉県比企郡吉見町にある吉見百穴は、古墳時代後期(6世紀−7世紀)の横穴墓群の遺跡である。古墳時代後期には日本各地で豪族達が古墳群を形成するようになったが、その頃、複数の死者を追葬できる横穴式石室構造が大陸から伝来した。吉見百穴の横穴墓群に…

吉見観音、三重塔

現存する三重塔は、寛永年間(1624~43)に杲鏡(こうきょう)法印によって建立されたもので、本堂・仁王門・大仏等の中で最も古い。総高約24.3 m方3間の三重塔で、基壇は設けられず、心柱は初重天井上の梁で支えられている。屋根は杮葺であったが、銅板葺に…

吉見観音安楽寺

昼食は、埼玉県比企郡吉見町の吉見百穴の北東1.5kmにある「手打ち十割そば八丁」というそば屋にした。どういうわけか道路に背を向けて店があり、駐車場に入らないとわかりづらい目立たぬ店だった。 十割蕎麦は800円だが、十割鴨汁蕎麦1400円を注文した。合鴨…

金鑽神社、鏡岩

社伝によれば、景行天皇の41年、日本武尊が東征の帰途、伊勢神宮で伯母の倭姫命より賜った火打金を御霊代として、この地の御室山(御岳山)に奉納し、天照大神と素盞嗚尊を祀ったのが始まりという。その後、欽明天皇2年に日本武尊を合わせ祀ったという。延…