半坪ビオトープの日記

2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧

東照宮最初の表門は、正面左右に阿吽の仁王像を安置しているので、昔は仁王門と呼ばれていた。 朱色を基調とし、虎や麒麟、獅子、獏など82体の彫刻は極彩色に彩られている。 仁王は仏教の守り神。明治4年実施の神仏分離で、この仁王像は輪王寺大猷院の仁王…

日光東照宮は、徳川家康を神格化した東照大権現を祀っている。元和2年(1616)に家康が駿府で死去すると、遺命により久能山に葬られた後、翌年には日光東照宮に改葬された。作事奉行は藤堂高虎だった。寛永11年(1634)に三代将軍家光が日光に社参し、寛永…

梅雨の合間のこの週末に日光と尾瀬に出かけた。どちらも久しぶりだが、世界遺産になった東照宮周辺を、くまなく見て歩くのは初めてのことである。 東照宮と輪王寺の手前には大谷川が流れ、神橋が架かっている。かつては日光山の行者、朝廷の勅使、将軍しか渡…

この鳥はカルガモと思われる。今時はよく親子連れの微笑ましい姿が見られるのだが、夫婦つがいだけのカルガモである。 堀切の花菖蒲の様子は「江戸百景」に数えられ、鈴木春信・安藤広重など著名な浮世絵画家によっても描かれている。 明治には「東京遊行期(…

この地に初めて花菖蒲が伝来したのはいつの頃か明らかではないが、一説によると、室町時代堀切村の地頭久保寺胤夫が家臣の宮田将監に命じて、奥州郡山の安積沼から花菖蒲を取り寄せたのが培養の始まりとも、文化年間(1804~17)堀切村の百姓小高伊佐衛門が本…

先週、友と連れ立って堀切菖蒲園に出かけた。駅から裏通りを歩いていくと、十二支の像が並んでいた。 堀切十二支神の像で、無理して立ち上がっているところが面白い。 さらに進むと今度は、しょうぶ七福神の大きな像が並んでいる。先ほどの像と合わせてどち…

仙台駅から真北に進むと仙台東照宮がある。天正19年(1591)におこった葛西・大崎一揆鎮圧のため督戦にあたった徳川家康が、伊達政宗の案内で帰途に宿陣した地でもある。 参道石段を上り切ったところに建つ随神門は、ケヤキの素木造、3間1戸の8脚門で、左…

仙台青葉城の北の鬱蒼とした杜の中に大崎八幡宮がある。表参道には鳥居が三つあるが、これは駐車場のある北参道の鳥居である。 「安永風土記」によれば、坂上田村麻呂が胆沢城(岩手県奥州市水沢地区)に創建した鎮守府八幡宮を、奥州探題の大崎氏が遠出郡に…

瑞鳳殿の向かいの高台に感仙殿がある。2代藩主伊達忠宗(1599~1658)の霊屋であり、瑞鳳殿と同等の華麗なものだったが、明治初年に本殿を除いて取り壊され、残った本殿も戦災で焼失した。現在の霊屋は、瑞鳳殿に続いて再建が進められ昭和60年に完成した。 …

青葉山に築かれた仙台城近くの経ヶ峯に、伊達政宗の霊屋瑞鳳殿がある。その瑞鳳殿の入口に臨済宗の正宗山瑞鳳寺がある。 政宗の菩提寺として寛永14年(1637)2代忠宗により創建された。本尊は釈迦、文殊、普賢の三体で、平泉毛越寺より遷したものである。 …

仙台駅から東に行くと歌枕で有名な宮城野となり、さらに東に陸奥国分寺薬師堂がある。この敷地一帯にかつては陸奥国分寺があった。 陸奥国分寺は天平13年(741)聖武天皇によって全国に建立を命じられた国分寺のうち最北のものである。南大門跡に仁王門が、…

塩竃神社は、武甕槌神・経津主神が東北を平定した際に両神を先導した塩土老翁神がこの地に留まり、現地の人々に製塩を教えたことに始まると伝えられている。中世には奥州藤原氏の崇敬を受け、文治6年(1190)伊沢家景が源頼朝から陸奥留守職に任じられた後…

前日に混雑していて見残した塩竃神社に帰りがけに寄ったが、ここから当分の間、カメラの設定が間違っていてほとんどが露出オーバーとなってしまった。外に記録がないので残念ながらこれで我慢する。 本塩釜駅の北西、一森山にある塩竃神社は、「弘仁主税式(…

観瀾亭の庭から北の方を眺めると福浦島が見える。面積6haほどの島で、弁財天や縄文時代の貝塚など歴史ある史跡も残されている。 全長252mの朱塗りの橋で陸と繋がれている姿が、刻々と変わる海と空の色合いとともに味わい深く眺められるはずだが、この時は…

松島湾に突き出した月見崎と呼ばれる丘の上に観瀾亭という建物がある。もと政宗の行殿が建てられていたが、正保2年に火事で焼けたため、2代藩主忠宗が現在の行殿を品川の藩邸から移築して、「月見の御殿」と呼んだ。以後、歴代藩主や妻女の納涼・観月の休…

円通院の向かいの路地を海側(東)に曲がると、すぐ左手に茅葺きの三聖堂が見える。天和2年(1682)瑞巌寺101世鵬雲により建てられた、方3間の素木造、屋根は宝形造茅葺き、正面に一間の向拝の付いた質朴端正な堂である。 堂内正面中央に聖観世音菩薩、左…

瑞巌寺南隣の円通院は、臨済宗妙心寺派の寺院で、伊達政宗の嫡孫光宗の霊廟として開山された。 山門は、開山と同時に建てられたと考えられ、切妻造茅葺の一門一戸の薬医門で、本堂とともに町指定の文化財に指定されている。 石庭「雲外天地の庭」。「天の庭…

瑞巌寺の拝観受付を入った左の岩壁に、格子の嵌った法身窟という洞窟がある。鎌倉時代半ばにこの地に開山となる法身禅師と諸国行脚中の執権北条時頼が出会った処と伝えられている。 正安2年(1300)京都天竜寺開山の夢窓国師がここを訪れた時、無人の窟内か…

本堂ほか工事中は、国宝の庫裡と陽徳院御霊屋が特別公開されている。庫裡は禅宗寺院の台所で、大屋根の上にさらに煙出しが載っている。正面約14m、奥行き約25mと巨大で、本来実用本位の建物に唐草や花肘木の彫刻が施されたことに正宗の美意識が窺える。 そ…

瑞巌寺の詳名は、松島青龍山瑞巌円福禅寺という。天長5年(828)慈覚大師円仁により開創され、天台宗延福寺と称した。鎌倉時代中期の13世紀半ば、執権北条時頼が法身性西和尚を開山とし圓福寺と改称、建長寺派の禅寺にあらためたが、戦国時代には寺勢は衰え…

多賀城から塩竃神社に行ったが昼近くになり、参拝客と花見客でごった返していて駐車場に入れなかったので松島に向かった。 松島海岸駅前の「かき松島こうは」で殻付かき定食を食べた後、松島海岸を散策した。 福浦島の前から海岸を西に歩くと、海に飛び出し…

多賀城碑のすぐ脇に芭蕉の句碑が建っている。 「あやめ草足に結ん草鞋の緒」 芭蕉と曾良は「おくのほそ道」紀行で多賀城の歌枕・「壺碑」を訪ねて、碑文を指でたどり次のように記す。「ここに至りて疑いなき千歳の記念 今眼前に古人の心を閲す(けみす) 行…

国府多賀城駅周辺には今から1300年前からの遺跡が至る所にあって、いくつかの散策コースがあるが一日かけても見尽くせないほどだ。 東北歴史博物館のすぐ東に、特別史跡の多賀城廃寺跡がある。奈良時代初期に陸奥国府と鎮守府が置かれた多賀城の付属寺院とし…

国府多賀城駅の南隣に東北歴史博物館がある。宮城県立なので松島湾の貝塚や多賀城跡出土品が充実しているが、東北地方全体の歴史を紹介している。 屋外には今野家住宅がある。石巻市北上町から移築した農家で、ホンヤ(本屋?)は明和6年(1769)に建てられ…

さて、中断していたGW山寺の続きを再開する。仙台市西部、名取川沿いにある秋保温泉は、平安時代には「名取りの御湯」と呼ばれ、都にも聞こえた湯之里だった。江戸時代に仙台藩の御用湯となり、幕末以降は庶民の湯治場として親しまれてきた。温泉の西に鎌倉…

近頃、近所で見かけた花をいくつか紹介しておく。5月上旬に見かけたこの花は、ノウゼンカズラ科のインカルヴィレア・ドゥラヴェーイー(Incarvillea deravayi)という。 属名は、フランスの植物学者ジュシュー(Jussieu)の協力者で、中国へ渡った宣教師ダ…

4月に手に入れたカエルの卵は残念ながら孵化しなかったが、池の回りにようやくミツバやセリなどがうっそうと茂ってきたので、ダンゴムシを離すことにした。 池にはスイレンの花が咲き、池に覆いかぶさるように伸びてきたホタルブクロ(Campanula punctata)…