半坪ビオトープの日記

2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧

正庁の奥には、藩主の休息所であり諸公子の勉学所だった至善堂がある。ここは奥の御座の間をはじめ4室からなっている。至善堂の名は、徳川斉昭が中国の経書「大学」からとって命名したものである。 第15代将軍慶喜も、父・徳川斉昭の厳しい教育方針で5歳…

正庁の左には武道の試験が行われた対試場がある。その左の三の丸小学校の敷地には、かつて武館や、天文台、医学館があり、当時の調練場を含めた弘道館の面積は、現在の旧県庁舎、県立図書館、三の丸小学校などを含めて、現在の弘道館公園の敷地の約5倍もあ…

旧水戸藩の藩校である弘道館は、徳川斉昭が推進した藩政改革の重要施策の一つとして開設された。建学の精神は、天保9年(1838)に斉昭の名で公表された「弘道館記」に「神儒一致」「忠孝一致」「文武一致」「学問事業一致」「治教一致」の5項目で示された…

今月中旬に水戸とその周辺を巡った。雨天のため予定を大幅に変更して、徳川ミュージアムから見た。正式には彰考館徳川博物館といい、水戸徳川家第13代圀順が徳川家に伝わる古文書、道具類を寄贈して昭和42年に開館した。第一展示室が常設展に、第二・第…

江戸時代に編纂された「新編武蔵風土記稿」に「極めて絶品」と紹介されている深大寺そばだが、徳川将軍家光が鷹狩りの際立ち寄り、そばの味を推奨したという説など、その歴史には諸説あるという。当時は「献上そば」とも称され、ごく一部の上層階級のみに食…

茅葺きの山門は、慶応元年(1865)の火災の際にも常香楼とともに被災を免れた建物で、現在、山内で一番古い建物である。屋根裏の棟札には元禄8年(1695)に山門の普請が行われたと記されていた。薬医門と呼ばれる形式で、柱、梁、組物などはケヤキ材である…

江戸時代の本堂が幕末の火災で焼失した後、本尊の阿弥陀如来像は仮に、再建した庫裡に安置されていたが、大正8年に今の本堂が完成した。 旧本堂は寄棟造の茅葺き屋根だったが、再建本堂は入母屋造の瓦葺に変わった。旧本堂の正面中央には入母屋破風の向拝が…

東京では浅草寺に次ぐ古い歴史を持つ深大寺の信仰の中心は、元三大師堂に祀られている元三大師像である。比叡山の第18代天台座主慈恵大師良源大僧正の自刻像が、正暦2年(991)に大師の高弟である慈忍和尚、恵心僧都の意を受けた寛印により遥か比叡山より…

神代植物公園を深大寺門から出るとすぐ右手に、玉乃屋、松葉茶屋というそば屋が並んでいる。この二つもそこそこの評判だが、この日は雨上がりなので人出が少ないだろうから、普段混んでいて入れないとの評判のそば屋に向かうつもりだ。 真っすぐ乾門に進まず…

熱帯スイレン室の壁際には、つる性植物であるアサヒカズラ(Antigonon leptopus)が絡み合って這い上がり、濃淡鮮やかなピンク色の花を咲かせていた。タデ科の植物で、花びらに見えるのは萼である。 メキシコ原産の非耐寒性多年草で、周年開花する。別名とし…

鮮やかな宝石のような翡翠色をしたヒスイカズラと呼ばれるこの花は、ストロンギロドン・マクロボトリス(Strongylodon macrobotrys)という。属名は、ギリシア語 strongylos(丸い)と odoys(歯)に由来し、萼の丸い歯にちなむ。 フィリピンのルソン島原産…

訪れた数日前に、神代植物公園の大温室で珍しいムユウジュ(無憂樹)の花が咲いているとの記事が新聞に載った。 インド菩提樹、沙羅双樹とともに仏教三大聖樹の一つとされるムユウジュ(Saraca asoca、indica)は、マメ科サラカ属の常緑小高木で、インドから…

大温室のメインは熱帯の花木室だが、まだ冬だったのでやはり咲いている花の種類は心持ち少ない。最初に眼についたのは、温室でよく見かけるゴクラクチョウカ(極楽鳥花、Strelitzia reginae) 。南アフリカ原産の常緑多年草で、花の形がユニークで切り花にも…

先月下旬に友人と連れ立って神代植物公園と深大寺をのんびり散策した。まだ肌寒い雨上がりだったが、昼食後には日帰り温泉も計画しているので足取りは軽い。 神代植物公園は、昭和36年に開園した都立唯一の植物公園で、面積は48.6万㎡あり、園芸品種を…

先日から買い求めた花苗を少しずつ花壇に植えている。カエル池の回りには、ハツユキカズラ、ツボサンゴ、黄花ハナニラなどを植えた。 黄花ハナニラは、イフェイオン・セロウィアナム(Ipheion sellowianum) というメキシコおよびアルゼンチン原産のハナニラ…

帰りの昼食は、日立市内で評判のフレンチレストラン「デュ・バブレン」でランチコースを頼んだ。 店内にはロートレックやミュシャの絵が掛けられ、落ち着いた雰囲気である。 ここのマダムは、茨城で初めてのソムリエ認定資格者であり、全日本ソムリエコンク…

日立市北部にある伊師浜海岸は、白砂青松の美しい海水浴場のある海岸でアオウミガメの産卵地でもあり、国民休養地ともなっている。 伊師浜海岸の南に続く鵜の岬海岸は、日本唯一の鵜飼いのためのウミウ捕獲場で、国民宿舎「鵜の岬」日帰り温泉施設の「鵜来来…

高萩八幡宮の社殿の背後、左に立つ安良川の爺スギは、高さ35m、幹回り約10m、樹齢約1000年で、大正13年に国の天然記念物に指定されている。 県内第一の古木であり、樹勢が衰えていたため、数年前に先端部を切除して、避雷針を付けている。元は42…

高萩小に隣接する安良川八幡宮の参道は、鬱蒼とそびえ立つ杉の巨木に囲まれていて、長い石段を上り詰めなくてはならない。実際には案内板に従って、車で迂回して社殿脇の駐車場まで上った。 由緒によると、「古より安良川の産土神で、祭神は、応神天皇・日女…

ここ松岡地区は文化の里エリアといい、穂積家住宅からお屋敷通りを経て丹生神社、松岡城趾まで歴史の息づくウォーキングコースがある。 穂積家は、江戸時代から豪農の家柄として地域経済に大きな役割を担い、その活動は農業のほか、酒造業や林業、金融業、製…

5世紀末頃、多珂国(久慈川以北)に朝廷から国造が派遣され、大和政権の勢力下に入った。琵琶墓古墳をはじめとする古墳群の多さから、ここ高萩地方が多珂国の政治の中心と考えられている。鎌倉時代には宇佐美氏が地頭職にあり、室町時代には寺岡氏・里見氏…

磯原温泉の裏手に野口雨情の生家がある。雨情は明治15年(1882)磯原村に父量平、母てるの長男として生まれ英吉と名付けられた。木造瓦葺二階建ての右の家は、明治時代の初めに建てられ、一部が改造されている。二階が雨情の書斎だったところである。 生家…

国道6号沿いの野口雨情生家の数百メートル北に野口雨情記念館がある。ロータリー中央にある野口雨情像の手前にはシャボン玉で遊ぶ子どもの像が建っている。野口雨情は、「七つの子」「赤い靴」「青い眼の人形」「あの町この町」などの童謡をたくさん作詞し…