半坪ビオトープの日記

2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧

弟橘媛神社拝殿前の境内に戻る。天妃山の由来を記した説明板の右には、航海安全祈願のため奉納されたものであろうか、古い錨がおかれている。 拝殿の前には西山公腰掛石の碑がある。光圀が腰掛けたというが、観光地にはよくある話である。 拝殿の前の小径を…

新撰組筆頭局長であった芹沢鴨は、養父である下村義次が弟橘媛神社の神官となったため、その後を継ぎ(下村継次)、この弟橘媛神社の神官だった時代があるそうだ。その時期、芹沢鴨の尊王攘夷思想に影響を与えた師が野口正安で、嘉永5年(1852)に吉田松陰…

野口雨情ゆかりの磯原海岸に突き出した三等三角点のある小山は、標高21mの茨城県第二位の低山で、天妃山という。 東日本大震災の津波が押し寄せて堤防を越え、家々を押し壊したためにまだ空き地が散在する磯原温泉から、修復された堤防に沿って天妃山に向…

佐波波地祇神社は初め、大津の澤山(佐波山)に鎮座した。その後、東堂下に移り、さらに現在地に遷座したという。 これは境内社の武田姫稲荷大明神を奉る武田姫稲荷である。朱色の鳥居が華やかである。 こちらは丸徳稲荷神社という。小さな狐の神使いがたく…

福島県の勿来からまた北茨城に戻る。平潟港と五浦海岸の南に大津港がある。江戸時代から水戸藩有数の漁港として栄え、その後もいわし・さば、シラス・コウナゴなどを水揚げしてきた。しかし東日本大震災の津波で漁港を始め壊滅的な打撃を受け、さらに福島第…

勿来関は、平安時代の武将源義家の「吹く風をなこその関と思へども道もせにちる山桜かな」の和歌をはじめ、紀貫之、小野小町、和泉式部、西行法師など、多くの歌人が和歌に詠んだ有名な歌枕の地であるが、所在は確かめられていない。 江戸時代には水戸と磐城…

五浦、平潟のすぐ北は福島県になり、勿来の関公園がある。古代から歌枕になっている関の一つ、なこその関は江戸時代の終わり頃からは奥州三関の一つに数えられている。しかし所在地が諸説あるほか、存在自体を疑う説もあり、なぞだらけの関である。和歌など…

天心記念五浦美術館は、岡倉天心や五浦の作家達の業績を紹介するとともに、展覧会をはじめとする美術鑑賞の機会提供や日本美術の情報発信などを目指している。 天心記念室では、書簡や遺品などの天心の業績紹介とともに、横山大観、下村観山、菱田春草、木村…

冬の鍋料理の定番といえば何と言ってもアンコウ鍋だろう。ここ北茨城の平潟港でのアンコウの水揚げは県内一を誇る。 五浦海岸から平潟港にかけてアンコウ鍋が自慢の店はいくつもあるが、お昼は最も人気のある「船頭料理天心丸」に決めた。 漁船を自ら所有し…

先日、北茨城の五浦海岸から勿来、磯原、高萩の辺りを廻ってきた。 五浦海岸といえば岡倉天心が建てた六角堂が有名だが、東日本大震災の津波によって損壊、消失してしまった。そこで最初に六角堂が見渡せたという五浦岬公園に行った。 展望台を探したが六角…

カエル池のビオトープ作り再開

年末にようやく新居に引越でき、中断していたビオトープをふたたび作り始めた。解体した以前の半坪ビオトープでは、2006年の春から毎年産卵を見届け、最後の2010年夏には一坪弱の庭に8匹のヤマアカガエルが生き延びていたのを確認できた。今回のカエル池の…

時間があったので日帰り温泉を探し、蓮台寺に向かう。下田駅前には黒船サスケハナ号の模型があり、観光客を出迎えている。 こちらが下田港で見かけた観光船のサスケハナ号である。 蓮台寺には和風の老舗旅館や古い造りの家並みが多く残っている。蓮台寺駅の…

下田港に注ぐ稲生沢川河口にはたくさんの金目船が停泊している。金目鯛の水揚げが日本一の下田市内には金目鯛料理専門店も多い。 この「網元きんめせん曻龍」は、店名の通り、以前は金目船を所有していた網元だったが、今では専門店を切り盛りしている。 ガ…

弁天島から下田港の西岸に位置する下田公園が見える。今は城跡となった下田城は、鵜島城とも呼ばれ戦国時代には北条氏の出城であった。天正16年(1588)北条氏直は豊臣軍の侵攻に備え、清水康秀を城主として守備を命じた。天正18年、豊臣軍は一万の軍勢…

下田の海に突き出た弁天島は、鷺島とも呼ばれる。今は陸続きになっているが、昔は小島だったという。 この岩山の入口には、松陰遺墨七生説の碑と金子重輔の顕彰碑がある。松陰は生前、自分の碑よりも重輔の碑を建てたい、との話をしていたとのことで、重輔の…

本堂の右にはハリス記念館があり、ハリスが領事館当時愛用の遺品や、柿崎村名主浜田与平治の日記、吉田松陰の遺品、通訳官ヒュースケンに仕えたおふくの遺品、ロシア・ディアナ号将校モジャイスキー撮影の日本最古の銀盤写真など幕末開国時代の資料がたくさ…

三島神社の先を左に入ると、曹洞宗瑞龍山玉泉寺がある。 以前は真言宗の草庵だったのを、天正の初め(1580年代)開山一嶺俊栄和尚により曹洞宗に改宗された古刹である。 嘉永元年(1848)翠岩眉毛和尚の代に本堂が落成している。本尊は釈迦如来である。この…

白浜神社から下田へ帰る途中、柿崎の交差点を南東に折れて進むと左に三島神社がある。バス停は柿崎神社前となっている。 宝暦3年(1753)再建で、祭神は大国主命ということだが、創祀年代や由緒については今ひとつはっきりしない。三島市の三嶋大社とどんな…

白浜神社の裏には白浜海岸があり、伊豆半島最大の白浜大浜海水浴場が右手(南)に続いていて、冬でもサーファーが集まっている。 砂浜の左手は岩場となっていてクロマツが海風に耐えて突っ立っている。大きな大明神磐(岩)の上には鳥居が立ち、岬の先端との…

境内の左手奥に本殿へ通じる参道がある。拝殿の後方、丘の上に本殿があり、拝殿から一直線に上る神官用の階段もあるが、参拝客は鳥居をくぐって左の参道を上る。 参道の途中に青桐の自生地がある。アオギリの自生群落の北限に当たり、国の天然記念物に指定さ…

10年ほど前に歌手の西城秀樹が神前結婚式を挙げたという白浜神社には、年二回行われると思われる茅の輪が設えられていた。 白浜神社の拝殿は、万延元年(1860)造営の正面6間、側面5間の瓦葺総欅造入母屋造で向拝が付く。堅い欅を多く使っているが、神社が…

下田駅から北東4kmにある白浜海岸は、長い砂浜が広がり、夏には多くの海水浴客でにぎわう。その海岸を二つに分ける杜に、式内大社の伊古奈比咩命神社がある。伊豆国最古の宮で、鎮座地に因み白浜神社と通称される。朱色の神橋と一の鳥居が鮮やかである。 三…

天馬駒神社の神木の所から、湯の華小路の東の奥にある曹洞宗の広台寺を眺めることができる。 広台寺の創立年代は不明だが、言い伝えによると創建当時は桂昌庵と称す小庵で、蓮台寺の郊外、那岐里山にあったそうだ。 慶長17年(1612)当寺開山格雄宗逸和尚…