半坪ビオトープの日記

2012-01-01から1ヶ月間の記事一覧

湯の華小路を東に広台寺に向かって進むと天馬駒神社入口の標識がある。階段を上がった左手の高台に天馬駒(てんぱく)神社が鎮座している。 この辺りでは最古の神社で、およそ2000年前、神津島から遷座され、この地に祀られたといわれている。 この天馬駒(…

湯の華小路を抜け出た118号線沿いの公会堂の脇に天神神社がある。117段の長い急な階段を気合いを入れて上っていく。 旧下田村名主、加畑屋が江戸期以前に寄進したといわれる階段を、赤い手すりを伝って上り詰めると鳥居がある。 鳥居の右脇に磐を抱くように…

下田駅の一つ手前に蓮台寺駅があり、稲生沢川と蓮台寺川に沿った閑静な山間に蓮台寺温泉がある。蓮台寺とは750年頃、行基によって創建された寺で、真言密教の修験道場や宿坊として、1220年頃までこの地にあったと伝えられているが、場所は特定できず地名…

海善寺のさらに駅寄りに稲田寺(とうでんじ)があるが、通りからかなり奥まったところにある。 浄土宗の敷根山稲田寺は文正元年(1466)法蓮社本誉により創立された。 幕末開港時には、ロシア使節プチャーチンとの交渉に当たった応接掛川路聖(としあきら)…

八幡神社の駅寄りに八幡山宝福寺がある。永禄2年(1559)信長の圧迫を逃れ、本願寺第十一代顕如並びに法孫釈了善が真言宗から浄土真宗に改め開基となる。 嘉永7年(安政元年 1854)に締結された日米和親条約により下田開港となり、ここ宝福寺は仮奉行所と…

さて、また年末に出かけた下田の町に戻って続けよう。大安寺の北、市民文化会館の横に八幡神社がある。 参道入口には神橋が架かり、その左には「迎神の松」が見事な枝振りを見せている。 正応年間(1288~93)の創建といわれ、下田奉行も着任寺に最初に参詣し…

柴又駅から金町線の線路の西に行くと柴又八幡神社がある。 鳥居をくぐって境内に入ると柴又用水の碑がある。根府川石の板石碑で、明治6年の銘文が刻まれている。天保6年(1835) に鈴木幸七によって用水路が引かれ、水利用と洪水の克服ができたことを顕彰し…

真勝院のもう一本北側の道路は金町浄水場に面している。その一角に金町浄水場に向き合って小さな水神様がある。 水神様(水神堂)は昔、柴又村の人々が庚申の日に雨が降らないように、そして井戸が涸れないようにと願って祀ったお堂という。 「本化別頭物祖…

柴又帝釈天参道のすぐ北にお寺がある。正式には真言宗豊山派の石照山真光寺真勝院というが、一般に真勝院と呼ばれる。 大同元年(806)の創立と伝えられる古刹であるが、開創の由来や開山等の名は明らかではない。永禄7年(1564)の国府台合戦の兵火など何…

柴又公園の堤の上から山本亭の建物が見える。山本亭は、大正末期から昭和初期の建物で、和洋折衷の建物と庭園が見事に調和されていて、東京都選定歴史的建造物である。 木造瓦葺き2階建てで、1階400㎡、2階50㎡、地下防空壕、土蔵、長屋門等からなる。 長…

帝釈天の裏、江戸川堤に面した川魚料理屋、川甚で予約しておいた昼食にした。 小鉢、鯉こく、鯉洗い、うな重、水菓子の花コースという簡素なセットだったが、個室でゆっくりできてよかった。 食後、江戸川河川敷の柴又公園をぶらぶら散策した。凧揚げに興じ…

柴又帝釈天といえば、「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又です」の名文句で有名な映画、「男はつらいよ」シリーズが誰にも思い浮かぶ。 柴又に向かう京成金町線の電車にも、帝釈天と寅さんのポスターが貼られていた。 帝釈天の裏手には江戸川の堤に囲まれた河…

祖師堂(本堂)裏に位置するのが大客殿で、信徒の接待所として、昭和4年に完成した。総檜造りで、入母屋造瓦葺、平屋建ての左右に細長い建築である。東京都の選定歴史的建造物になっている。大工棟梁鈴木源治郎の設計による。 大客殿前に広がる池泉式庭園は…

帝釈堂の右に建つのが祖師堂で、帝釈堂と同じく入母屋造の拝殿と内殿が前後に並んで建つ。昭和27年および53年に大改修された。 柴又七福神としては毘沙門天が祀られている。 祖師堂の裏には大客殿が続く。これは外から見たところである。 祖師堂の入口に…

二天門から境内に入ると、正面にあるのが帝釈堂である。手前に「瑞龍の松」が枝を広げている。 昔より日蓮上人御親刻といわれる帝釈天の本尊が安置されていたが、江戸中期の一時所在不明となっていた。安永年間に至り第九代享貞院日敬上人が荒廃した寺の復興…

参道を進んでいくと、最初に構えているのが柴又帝釈天の二天門である。 この二天門は、十四代日孝上人のとき、明治29年に江戸期建築の最後の名匠といわれた坂田留吉棟梁により造られた総欅造りの豪壮な門である。入母屋造瓦葺の2階建て楼門で、屋根には唐…

仲間と連れ立って昨日、初詣と称して柴又帝釈天に出かけた。柴又駅前広場には「男はつらいよ」シリーズの主人公「寅さん」の銅像があり、待ち合わせ場所にもなっているようで、案内ボランティアの人達もこの辺りで観光客を待ち構えている。 参道に向かって歩…

ペリーロードを戻り、町の西に位置する大安寺に向かう。途中、了仙寺の向かいあたりに「欠乏所跡」という石碑があった。 安政元年に締結された日米和親条約により、開港場となった下田では、薪・水・食料・石炭など欠乏品を入港してくる外国船に供給すること…

了仙寺の入口脇に小さな御獅子神社がある。将軍家光の時代に伊勢よりこの地に移り住んだ伊勢屋五兵衛が、許可を得て伊勢神宮の神楽製作の残木で獅子2体を作らせて下田に持ち帰り、弥治川町に祠を建てて町内の守護神として安置したのが由来という。 了仙寺か…

鍋田口からトンネルをくぐり市内に向かって数分戻ると、下田開国博物館がある。昔ながらのなまこ壁が何やら仰々しい。入館料が高い(1000)のも気になるがとりあえず入ってみると、下田太鼓祭りを再現した人形達のコーナーでも撮影禁止となっていた。 それで…

年末に南伊豆フリー乗車券を使って、下田を旅した。 まずは昼食だが、「何を食べても美味しい下田の隠れ家ビストロ」と口コミで評判の、ビストロド・マーニに向かった。 下田から歩くと1.4kmの町外れにあるので、鍋田口までバスに乗って下車後2分だ。 ち…

さらに左に進んでいくと、木々に囲まれて大歳御祖(おおとしみおや)神社がある。浅間神社と神部神社が東面する同一社殿に祀られているのに対し、こちらは南面する独立の社殿に祀られている。この三社を総称して静岡浅間神社という。 延喜式内社で、「総国風…

本社の左側に境内社の八千戈(やちほこ)神社が鎮座している。造営は本社に次いで行われ、本殿中・両社本殿に次ぐ大きさである。入母屋造銅瓦葺で、朱塗極彩色を施す。 主祭神として、八千戈命(神部神社大己貴命=大国主の命)を祀る。相殿神として、明治6…

舞殿の後ろにある大拝殿(国の重文)は、浅間神社・神部神社2社同殿の二階拝殿で、文化2年起工、同11年(1814)竣工の楼閣造りで、いわゆる浅間造の代表的なものである。高さは25mあり、殿内は132畳敷きの広さがある。天井は十間の合天井となり、その各…