半坪ビオトープの日記

2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧

田麦俣から鶴岡市内へ戻る途中真言宗智山派の湯殿山注連寺がある。注連寺は湯殿山表口別当寺で、出羽三山の参道口にあたり、寺の先には「女人結界」があったため、女人禁制の湯殿山に詣でたい女性のための遥拝所として栄えた。 天長10年(833)に空海がこ…

ひと月ほど前になるが、8月半ば過ぎに鶴岡から出羽三山を巡った。 新潟から左に見えていた日本海を離れ、広々とした庄内平野に入ると、ようやく目当ての山々が見えてくるのだが、残念ながら天気が思わしくなくて、出羽三山(月山1984m)には幾重にも雲がか…

秋の代表的な花、リンドウの花がよく出回っている。リンドウの根は昔から漢方薬(胃薬)として使われていて、苦いため「竜の胆のようだ」とのことで竜胆(リンドウ)と名付けられたといわれる。 古来より紫色は高貴な色とされてきたため、敬老の日に贈る縁起…

ヤマノイモ(山芋)に姿が似た花が、近くの家の窓辺に這い上がって満開に咲いていた。ヤマノイモ属のオニドコロ(Dioscorea tokoro) の雌花である。日本全土の山野に多く生えるつる性の多年草で、花期は7〜8月。雌雄異株で、雄花序は直立し、雌花序は下垂…

湯沢高原行きのロープウェイ乗り場より少し手前に、湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」がある。 小説「雪国」を著した川端康成の生涯や初版本などの展示や、駒子のモデルとなった芸子の松栄に関する資料などのほか、雪国の生活を紹介するコーナーなどがある。 …

三俣宿にある伊米神社は古くからの山岳信仰の山、苗場山の里宮である。 奥の院は苗場山山頂にあり、苗場山の山開きもこの里宮で行われる。 祭神は九柱だが、御神体は二柱の神で、農耕と山の神を意味し、俗に十二様と呼ばれ、祭日も7月12日と定められてい…

翌日の午前中、日帰り観光バスに乗って、奥清津発電所、旧脇本陣、伊米神社を巡った。 三俣と苗場の間にある清津川沿いの奥清津発電所は、日本第2位の揚水式水力発電所である。上のカッサ調整池と二居ダムとの落差470mで発電し終わった水を、余力電力で…

アルプの里には高山植物のロックガーデンのほか、ジップラインアドベンチャー、サマーボブスレー、ミニパターゴルフ、マウンテンゴーカートなどの遊戯施設もある。 高山植物では、幻のヒマラヤの青いケシや日本高山植物の女王コマクサなどが目玉だが、どちら…

この前の連休で越後湯沢に行った。天気がよかったので、166人乗りの大型ロープウェイに乗ってアルプの里に上る。ロープウェイからは眼下に越後湯沢の町が見下ろせる。川端康成が「雪国」を書いた宿、高半は湯沢駅から北に2kmほどの所にあり、ロープウェ…

最後に訪れたのは船の博物館、みちのく北方漁船博物館である。北日本で古くから使用されていた「ムダマハギ型漁船」67隻を中心に約130隻の漁船類を収蔵する日本最大の漁船博物館である。 ほかにもロシア、タイ、ベトナム、韓国などの外国船も展示されて…

三内丸山遺跡では、多数の建物跡のほか、土器、石器、土偶、木器、骨角器、装身具、黒曜石、栽培植物なども出土して縄文文化のイメージを大きく変えることになった。縄文時遊館には、映像で紹介する縄文シアター、土偶などの資料や縄文人の生活を再現した展…

これは掘立柱建物跡。地面に柱穴を掘り、柱を立てて屋根を支えたものと考えられ、推定で高床式の建物が復元されている。 集落の中央、南盛り土西側などから密集して見つかった。縄文中期中頃(約4500年前)の倉庫あるいは住居と推定されている。 長さ10m以…

この日は朝から天気が悪く、予定していた八甲田山をあきらめて早めに青森市内に戻った。 近年注目を浴びている三内丸山遺跡は、今から約5500〜4000年前の縄文時代の集落跡で、長期にわたって定住生活が営まれていた。大型竪穴住居跡、大人・子供の墓、掘立柱…

文明年間(1469~87)に南部光政が「田村袋の観音」として再建し、元亀2年(1571)千徳大和守政が社殿を改築した。慶長2年(1597)浅石城落城とともに廃社となり荒廃したが、寛永4年(1627)袋村住民が産土神として再興し、袋の観音堂と称せられた。明治4…

落合温泉のある袋集落の西はずれに白山姫神社がある。延暦年間(728~806)に、征夷大将軍・坂上田村麿が蝦夷を鎮めたとき、当地に滞陣し、勢至観音の御影を袋に入れて大木の枝にかけ、戦勝を祈願したところ、たちどころに御加護があらわれて強敵を西方に敗走…

黒石温泉郷には、津軽系こけしの発祥地の温湯・落合・板留温泉があり、落合温泉には津軽こけし館と伝承工芸館、津軽三味線じょんから劇場がある。津軽こけし館には、純金こけしと純銀こけしのほか、東北各地の伝統こけしが4000点も展示されている。 つい最近…

中野神社は、延暦14年(795)坂上田村麿が建立、更に軍が東夷を討ち帰洛の後、当国の守護神として社殿を創建したと伝えられる。御神体の不動尊は、推古帝18年(610)唐僧円智上人の作で、一木より三体を彫刻し一体は古懸山国上寺に、一体は長谷沢の東光…

不動橋を渡るとき、右手に不動滝が見える。それほど大きくはないが、紅葉の季節にはアクセントになって美しいという。 モミの木も堂々としているが、随身門も豪壮である。 五の両部鳥居の手前には狛犬ではなく珍しく鶏の神使(しんし)が並んでいる。左は鶏…

五所川原から浪岡ICで東北自動車道を経由して「こけしの里」と呼ばれる黒石温泉郷に行く。 黒石市から南東に十和田湖に向かい、東へ八甲田へ行く道が分かれるあたりが黒石温泉郷で、温湯・落合・板留温泉がある。 落合温泉の向かいに紅葉の名所として有名な…

五所川原には立佞武多(たちねぷた)の館があり、高さ22mの立佞武多が常時展示されている。2009年作のねぷたの題は「無幻破邪」という。鬼を押さえ込む鍾馗様に、自己中心的な邪心をなぎ払い、明るく優しい未来を築きたいという思いが込められているという…

太宰治はこの豪邸の建築の2年後に生まれた。太宰はこの家を「苦悩の年鑑」の中で、「この父はひどく大きい家を建てたものだ。風情も何もないただ大きいのである」と書いている。斜陽館の2階に上がると大きな洋間とその控え室がある。 2階には和室が6部屋…

津軽半島のほぼ中心に位置する五所川原市金木町は、太宰治(本名 津島修治)の故郷でもあり、津軽三味線の発祥地としても有名である。 旧津島家住宅・斜陽館(重文)は、太宰の父・源右衛門が金木銀行の店舗兼住宅として改築し、明治40年に竣工したほぼ総…

さて、中断していた青森・津軽の旅の続きを再開しよう。 津軽の亀ヶ岡といえば、縄文晩期の遮光器土偶(重文)の出土で有名である。国史跡の亀ヶ岡遺跡の手前に木造(きづくり)亀ヶ岡考古資料室があり、その中の縄文館にレプリカが展示されている。左足が欠…

この草は、「月うさぎ」という名で出回っていたが、何のことはない、日本中で雑草と目される、イネ科チカラシバ属のチカラシバ(Pennisetum alopecuroides) の園芸品種である。ペンニセツムという属名は、ギリシア語 penna(羽)と seta(剛毛)に由来し、小…

白色の小さな花をたくさん咲かせているこの花は、カラミンタ・ネペタ(Calamintha nepeta) の園芸品種である。属名は、ギリシア語 kalos(美しい)と minthe(ハッカ)に由来する。園芸上は、主にカラミンサの名で流通している。 シソ科の多年草で、地中海沿…

黄色の花が垂れ下がるこの花は、英名のウォルフスバイン(Wolfe's vine)の名で売り出されている、シソ科のペトラエオビテクス・バンブーセトルム (Petraeovitex bambusetorum) のゴールドシャワーという園芸品種である。 マレー半島原産のつる性植物で、花…

最近、近所で見かけた花をいくつか紹介しておきます。この花は、花の形が熨斗に似ているため、ジャノヒゲ属のノシラン(熨斗欄、Ophiopogon jaburan) という。 西日本の樹林下に自生する常緑多年草で、葉の長さは80cmにもなる。学名がヤブランとなっている…

岩婦温泉は、四方を山に囲まれた岩婦湖のほとりにある。灌漑用に造られた岩婦湖だが、ヘラブナ釣りやボート遊びもできるという。 左奥に見えるのは伏姫荘で、岩婦湖の右手前奥に古くからある岩婦館があって、そちらに入浴した。石で組まれた浴槽は小さくて二…

民宿街の中心には浄土宗の蓮台寺がある。永和年間(1375~79)南北朝の時代、到阿上人によって開創されたもので、本尊仏は恵心僧都の作との寺伝がある。 本堂の前には蓮台寺の大イチョウがある。今から500年余り前に植えられたと推定されている。北(右)のイ…

永年、夏の合宿は、館山外房の相の浜にある寂れた民宿を定宿としていたが、今年は思い切って内房の岩井海岸の民宿に変えた。 海岸に近い民宿は、JR岩井駅からだと15分、館山道のバス停ハイウェイオアシス「富楽里」からだと25分歩く。JRの特急を使用する…