半坪ビオトープの日記

2011-08-01から1ヶ月間の記事一覧

大口真神社が祀る御嶽神社の眷属である狼(御神狗、おいぬさま)すなわち大口真神は、2011年5月に、開山以来初めて開扉されたという。どんな狼の姿かぜひとも見てみたかったと思う。日本武尊が東征の折、御岳山にて狼に難を救われた際、「この山に留まり地…

武蔵御嶽神社は、珍しく現在、鎌倉宮や日光東照宮と同じく、神社本庁に属していない単立神社である。 宝物殿には、国宝の赤糸威大鎧と、金覆輪円文螺鈿鏡鞍・舌長鐙・馬具一式が展示されている。赤糸威大鎧は、畠山重忠により建久2年(1191)に奉納された、…

社伝によれば、崇神天皇7年(紀元前91)創建とされ、天平8年(736)に行基が蔵王権現を勧進したといわれる。 平安時代の延喜式神名帳には、大麻止乃豆乃天神社(おおまとのつのあまつかみのやしろ)と記されている。 文暦元年(1234)に大中臣国兼が荒廃し…

御岳山の山上にある武蔵御嶽神社は、古くより関東の霊山として信仰されてきた。 御嶽権現とも呼ばれ、厄除・延命・長寿・子孫繁栄を願う多くの人たちが参拝し、宿坊もたくさんある。 神社近くには大きな神代ケヤキがある。社伝では、日本武尊東征の昔から茂…

先日、レンゲショウマという花の日本最大の自生地が、奥多摩のケーブルカー御岳山駅近くにあるというので鑑賞に出かけた。 平日だったが、バスもケーブルカーも非常に混雑していた。 前回日の出山に行ったときには、左回りで御嶽山神社に向かい神社の手前で…

淡青紫色の円錐花序に咲くこの花は、クマツヅラ科ウィテクス(ハマゴウ)属のセイヨウニンジンボク(西洋人参木、Vitex agnus-castus) という。花色は淡青紫色が基本だが、まれに白色もある。 南ヨーロッパ、西アジア原産の落葉低木で、高さは2〜3mになる…

ゼフィランテス属のグランディフロラ(いわゆるサフランモドキ)によく似ているこの花は、同じくヒガンバナ科ハブランツス属のツビスパツス(Habranthus tubispathus) という。異名のロブスツス(H. robustus) の名前でも流通している。 中南米原産で、開花…

多くの長い雄ずいが突出するこのネムノキは、雲南ネムノキという。普通のネムノキ(Albizia julibrissin) より雄ずいが長い。 初夏から年数回咲くので、四季咲きネムノキとも呼ばれる。高さは1.5mほどになるが、普通のネムノキほど大きくはならない。 葉は…

まだまだ青森・津軽の旅は続いているのだが、ここらで一休みして、8月に近くで見かけた花をいくつか紹介しておきたい。 ヒガンバナ科のこの花は、キルタンツス属のサングイネウス(Cyrtanthus sanguineus)という。キルタンツスという属名は、ギリシア語 ky…

鯵ヶ沢から北へ十三湖までの海岸は七里長浜といい、内側の砂丘と丘陵地帯を屏風山という。開発以前は不毛地帯だったが、江戸時代に津軽藩主が積極的に防砂・防風林を植林した。その後、天明・天保の大飢饉でほとんど伐採されたが、再度、植林が続けられた。…

白神山地の西麓に広がるブナの森の中に点在する大小33の湖沼を総称して十二湖と呼ぶ。これらの湖は、宝永元年(1704)の能代地震による崩山の崩壊で塞き止められた川からできたと推定されている。十二湖の名称は、大崩から見ると12の湖沼が見えることに…

ふかうら文学館の先を左に上ると、老杉・古木が林立する真言宗の円覚寺がある。大同2年(807)坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際、ここに陣屋を置き観音堂を創建し、聖徳太子作とされる十一面観音菩薩像を安置したと伝えられている。また開基は貞観年間(859-877…

鯵ヶ沢から深浦町にかけての海岸沿いには焼きイカ店が多い。千畳敷から深浦港に向かう途中の風光明媚な風合瀬海岸に、かそせいか焼き村という道の駅がある。 近くには風合瀬鳥居崎の弁天島や大島などが点在する奇岩怪石の絶景もある。ここで焼いているイカが…

千畳敷とは、寛政の大地震(1792)により隆起したと伝えられる海岸段丘であり、さらに波などの浸食で、兜岩、ライオン岩、恵比寿岩、鷲岩、潮吹岩などの奇岩・奇石ができた。 物珍しがった津軽藩の殿様が千畳畳を敷かせ大宴会を催したことからこの名がある。…

深浦町の北金ヶ沢にある大イチョウは、日本最大のイチョウであり、樹木全体としても4番目の大きさを誇る。目通り幹周22m、樹高31mの巨木であるとともに、樹形もよく、古くから神木として信仰されている。 2001年の環境省による日本の巨樹・巨木林調査で…

鯵ヶ沢町役場の先に、鯵ヶ沢湾に面して旧郷社の白八幡宮がある。石の鳥居しか見えないが、その先の細い参道を右に上がっていく。 奥の石段を上がると朱色の二の両部鳥居がある。その先には三の明神鳥居と拝殿が見える。 拝殿の前に2基の御神燈がある。寛政…

鎌倉時代に津軽を席巻していた安東氏は、十三湊を根城に日本海交易に活躍していたが、安東氏が南部氏により追われた中世末期に十三湊は衰退した。その後、藩政時代に津軽藩の御用港として栄えた鯵ヶ沢は、日本海西廻航路の寄港地としても賑わい、寛文年間(1…

白神山地の核心地域に入山するのは手続きが面倒で、しかも初心者には危険だというので、一般にはマザーツリーや暗門の滝など、緩衝地域に近い所に行くことが多い。暗門の滝は、落差が42、37、26mの三つの滝であるが、くろくまの滝の落差は85mもある…

青森県と秋田県の県境に位置し、日本最大のブナ林を有する白神山地は、平成5年に日本初の世界自然遺産に登録された。天然記念物のクマゲラ、ニホンカモシカやツキノワグマなどが生息している奥深い森で、周辺にはいくつかトレッキングコースもある。 白神山…

白神山地の周辺を散策するために岩木山麓からくろくまの滝に向かった。ミニ白神を過ぎ、鯵ヶ沢から来た道に合流し赤石川を遡ると、途中に光信公の館がある。津軽の初代藩主である津軽為信の高祖父・大浦光信によって延徳3年(1491)に築かれた、種里城跡が…

青森県の最高峰である岩木山(1625m)は、津軽平野の中心に聳え、「津軽富士」とも呼ばれる円錐形の二重式火山である。津軽の人々は先祖の霊がこもる霊峰として昔から信仰してきた。太宰治はその山容を「十二単を拡げたようで、透き通るくらいに嬋娟たる美…

岩木山神社の隣には百沢温泉があるが、岩木山の南西麓には古くから嶽温泉がある。 名物マタギ飯のある「山のホテル」は、黒と白を基調とした民芸風の旅館で、先代は宿経営しながらマタギ(狩人)だったという。 嶽温泉は、延宝2年(1674)百沢村の杣夫・野…

岩木山は古くから信仰の対象であり、その南麓にある津軽国一宮の岩木山神社の祭神は、顕国玉神(うつしくにたまのかみ、大己貴命)、多都比姫命、大山祇神、坂上刈田麿命である。一の両部鳥居から真っすぐに、長い参道が岩木山に向かって続いている。晴れて…

長勝寺は、享禄元年(1528)大浦盛信により鯵ヶ沢種里に建立され、弘前城築城の時現在地に移った。津軽家の菩提寺である。 三門の正面突き当たりが長勝寺の本堂である。慶長15年(1610) に建立され、現存する日本最古の曹洞宗寺院建築で、重文に指定されて…

弘前城の南西、風水の裏鬼門にあたる茂森町に長勝寺がある。 長勝寺の総門にあたる黒門は、城郭建築に見られる高麗門形式で、長勝寺一帯が弘前城の出城として格付けされていたと推定されている。 慶長16年(1611)弘前城を造営した津軽信政がこの地に曹洞…

弘前城の南に位置するのが最勝院五重塔である。寺名は金剛山光明寺最勝院といい、津軽真言五山の筆頭である。仁王門の左手に五重塔が見える。 ここには観光館より無料の観光用貸自転車で来たが、いくつかのステーションで乗り捨ても可能なため、とても便利で…

旧弘前市立図書館の裏手に、現存するもの、しないものを含め1/10のミニチュア建造物が14棟も展示されている。 上に八角形の塔が設けられている左奥の建物は、明治26年に立てられた「角み」呉服店である。解体されて現物は残っていない。 手前の白い外壁…

弘前市に残る洋館としては、日本聖公会弘前昇天教会、日本キリスト教団弘前教会、旧弘前市立図書館、旧東奥義塾外人教師館、藤田記念庭園などが有名である。公園以外は無料である。 旧弘前市立図書館は、太宰治の生家「斜陽館」も設計した名匠堀江佐吉が明治…

弘前城跡三の丸の一角にある市立博物館では、ねぷた展が開かれていて、大正から昭和時代のねぷたの鏡絵や見送り絵がたくさん展示されている。主な常設展示品は、津軽塗、観桜観楓屏風などである。それらは撮影禁止だが、ロビーに展示されている絵は撮影可で…