半坪ビオトープの日記

2011-01-01から1ヶ月間の記事一覧

こちらの旧加藤家住宅も建築年代は不明だが、建築様式などから18世紀後半と推定されている。 建物は桁行七・五間、梁行三・五間、入母屋造り、茅葺、平入りの農家で、旧有山家よりも少し規模が大きく、造りもしっかりしている。 ここの座敷は板張りになっ…

公園内には多摩市指定有形文化財である古民家が左右にあって、見学できるようになっている。こちらは旧有山家住宅。 寄棟造り、茅葺、平入りの農家で、建築年代は不明だが、建築様式などから18世紀初頭と推定されている。 間取りは座敷、奥、納戸と閉鎖的…

一本杉公園と刻まれた石の門の門扉をよくみると、開門時間が8時から17時となっていて、昼間だけ開園していることが分かる。 道なりに進むと整備された林の中に池が二つほどあった。 広場には「赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ」とい…

横木の階段を上って進んでいくと、やがて緩やかな尾根道になり、左の斜面はすぐそこまで樹木が伐採されている。 少し下っていくと、左手に墓地が見えてくる。その墓地を回り込むようにして尾根道を進んでいく。 どんどん下っていくと、墓地の入り口に降り立…

グランドの脇を通ったりしながら尾根道をなおも進んでいくと、やがて左手に竹林を見ながら一般道を下っていく。 この辺りは町田市小野路町別所と多摩市永山の境界にあたり、古代東海道に鎌倉古道など古道がいくつも集まっている。 現代の鎌倉街道が南北に通…

展望広場にはベンチがいくつか置かれていて休憩できる。ベンチの後ろに「防人見返り峠」の柱が立っている。 万葉集にも詠われた防人の歌は、「赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ」という。 関東から九州へ防人として出かけたものはほとん…

尾根の右側には多摩の市街地が広がり、彼方には山々が連なる。やがてパノラマの丘、展望広場に着く。 多摩丘陵の西は、神奈川県津久井郡城山町の城山湖後方の三沢峠、東は多摩市連光寺向ノ丘まで、全長約24kmあり、よこやまの道はその東寄りに位置する。…

多摩丘陵の北や西にあたる多摩市側は、かなり前から開発され市街地となっている。東と南にあたる川崎市側は、最近まで斜面緑地が残っていて、黒川よこみね緑地保全地区とされてきたが、2004年に小田急線はるひ野駅ができる前後から、この地も住宅地とし…

東西に延びる多摩丘陵の尾根道がよこやまの道だが、古代より何本もの街道が南北に交差してきた。 鎌倉古道(鎌倉街道早ノ道、鎌倉街道上ノ道、軍事戦略鎌倉道)や奥州古道、奥州廃道、古代東海道など、万葉の古代から中世、江戸時代にかけて交易商人、巡礼者…

弓の橋の向こうに多摩東公園を見下ろすことができる辺りに、とても分かり易いよこやまの道の案内図があった。鎌倉時代には多くの道が交錯する要衝の地であったそうだ。 多摩東公園脇の丘の上広場から八王子市別所の長池公園までの9.5kmのうち、京王線若…

日曜日に、多摩丘陵よこやまの道を歩いた。多摩丘陵は武蔵の国府(府中)から眺めると横に長く連なる山々で、万葉時代から「多摩の横山」と呼ばれていた。 朝から寒空が晴れ渡り、京王線が多摩川を渡るころに富士山が眺められた。 よこやまの道は、多摩市、…

最終日はいくつかリフトを乗り継いだ後、蔵王スカイケーブルで中央高原駅に上った。 駅前に蔵王大権現堂がある。権現とは「権(かり)の姿で現れる神仏」を意味している。蔵王権現とは、インドに起源をもたない日本独自の仏で、奈良県吉野の金峯山寺本堂(蔵…

樹氷高原駅を過ぎると百万人ゲレンデに出る。百万人とは大げさだが、広々としたゲレンデをゆったり滑ることができるのは心地よい。 最近の若者はほとんどスノーボードで滑っているが、これだけ広々としているとスキーと混在していても衝突の不安は感じない。…

蔵王ロープウェイ地蔵山頂駅前から地蔵山頂方向を見ると、蔵王地蔵尊を見る人だかりがあったが、お地蔵様は雪に覆われよく見えなかった。 高さ2.34mの安山岩でできたお地蔵様で、諸願成就、災難よけを願い、安永4年(1775年)に建立されたそうだ。 樹…

蔵王ロープウェイの向こうには、鳥兜山と瀧山の間にある大釈山(1296m)が眺められた。 横倉ゲレンデをリフトを乗り継いで上っていくと、彼方にこれから向かう頂上が平たい地蔵山(1736m)と左に三方荒神山(1703m)が見えた。 リフトを乗り継いで樹氷高…

年末に蔵王温泉に行った。山形新幹線の山形駅から蔵王温泉のバスターミナルへ乗り継ぐと昼までに到着する。 ここは温泉旅館が並ぶ高湯通りだ。一番奥ノ階段の上に酢川温泉神社がある。 10日前には積雪が少なくスキーの滑走が危ぶまれたが、ここ数日の大雪…

早雲寺鐘楼、山上宗二追善碑、枯山水

早雲寺境内に入りすぐ右に茅葺の鐘楼がある。早雲寺創建のときからある梵鐘で、元徳2(1330)年の鋳造と、創建より200年ほど古い。 秀吉の小田原攻めのときに造った石垣山一夜城にも持っていき、陣鐘として使ったという。 鐘楼の近くに大石でできた山上…

早雲寺は元正18(1590)年、秀吉による小田原攻めの本陣として使われ、石垣山一夜城の完成後、秀吉にすべて焼き払われた。小田原落城後、四代氏政は切腹、五代氏直は高野山に追放され、翌年逝去して北條氏は滅びた。 氏政の弟、氏規が大坂狭山に狭山北條氏…

帰りがけ、箱根湯本の早雲寺に寄った。臨済宗大徳寺派で、山号は金湯山という。大永元(1521)年、北條早雲の遺命で子の氏綱が、京都大徳寺から以天宗清を招き創建した。 その後、関東における臨済宗の中心として発展し、一時は鎌倉の円覚寺や建長寺、本山の…

江戸幕府は元和四年(1618年)それまでの尾根道を通る湯坂道を廃止、須雲川及び畑宿経由の旧街道を作った。 旧東海道きっての難所、箱根八里(小田原宿〜三島宿)のうち、湯本〜箱根峠までを東坂と呼び、一般によく歩かれているのは畑宿〜箱根町である。…

さて、再び箱根に戻ろう。元箱根の成川美術館入口に身替わり地蔵がある。宇治川の先陣争いで名高い梶原景季は、ある年箱根を通りかかった時、何者かに襲われた。当時弁舌巧みで、たびたび人を陥れた平景時と間違えられたらしい。 幸いにも、かたわらにあった…

正月の三箇日だけ、金剛院の本堂で江戸時代末期作の三面大黒天が開帳される。 豊臣秀吉も信心したとされる三面大黒天は、大黒天の顔の向かって左に毘沙門天の顔が、右に弁財天の顔が合体し、一度の拝見で「七福神三体分の御利益がある」と伝えられている。 …

長崎神社の右隣の金剛院は、聖弁和尚によって大永2(1522)年に開創された真言宗豊山派の寺院で、正式には蓮華山金剛院佛性寺という。 門前には1948年、不動明王のお堂、長崎不動尊が建てられている。 病気平癒や災害の除去などの願いをかなえてく…

箱根の話はさておいて、正月の長崎神社と隣の金剛院の記事を少しはさみます。 豊島区長崎の地名の由来は、鎌倉時代に執権北條氏の御内人長崎氏の領地であったことによるといわれる。 江戸時代の「役帳」によると、小田原北條氏の家臣で江戸衆の太田康資(太…

宿泊した強羅温泉の谷向かいには明星ヶ岳がある。盂蘭盆を飾る大文字焼きで知られ、文字の跡がいつも見分けられる。 翌朝、ケーブルカーで早雲山駅まで上る。早雲山を見上げるとわずかに雪も見かけられた。大涌谷へのロープウェイはまだ動いていないので、朝…

金時山のふもとまで下ると、公時(金時)神社がある。平安時代の武将で源頼光の四天王の一人とされる坂田公時を祀る神社である。 金太郎伝説にはいろいろあるが、金時山の北側に当たる静岡県駿東郡小山町の金時神社に記されたものによると、金太郎は天暦10…

あけましておめでとうございます。今年も引き続き、史跡めぐりや温泉めぐり、山歩きや花歩きなどを楽しんでください。金時山の続きです。 下りは金時宿石、公時神社を通過するコースにした。先ほど来た矢倉沢峠への道を見ると、金時山から明神ヶ岳(1169m)…