夕方に着いたグラナダの宿もホテルではなく、安宿のオスタルに予約してあった。オスタル(Hostal)とは、ホテルよりも経済的な宿で、家族経営が多く、マークは「H」の中に小さく「s」が書き込まれている。路地に立ち並ぶ住宅街にあることが多いが、看板類がなく見つけるのは難しい。
中に入ると、オーナーの骨董趣味に驚かされた。エントランスのあちこちに甲冑や彫像や骨董家具の類が陳列されていた。これはサンチョ・パンサとドン・キホーテの彫像。
こちらのスペースには、中世の騎士達の武具が展示されている。甲冑(鎧兜)が最も重装備となった「猟犬面バシネット(ハウンスカル)」の兜に、完成形ともいわれる「プレート・アーマー(板金鎧)」を身につけ、全身を金属の甲冑で覆った重装騎兵姿は、16世紀になって銃撃戦が戦闘を決定するようになると、急速に姿を消し、儀礼用および装飾用となったといわれる。壁には中世の騎士が剣とセットで用いていた重厚な「カイト・シールド(凧型盾)」が掛けられていた。
スペイン南部にあるグラナダは、ローマ時代に起源を持つ歴史ある都市で、1236年にコルドバがキリスト教徒に奪回されてからは、ナスル朝グラナダ王国の首都となり、イベリア半島におけるイスラム最後の砦として繁栄を極めた。そして1492年のグラナダ陥落まで2世紀半にわたり、レコンキスタの暴風に晒されながら、終末の宴ともいうべきアルハンブラ宮殿を築き、そこに華燭の炎を燃え上がらせた。宿からカテドラルに向かうと、近くのロマニラ(Romanilla)広場から鐘楼が見える。
このロマニラ広場一帯は、17世紀初めにはジェノヴァの商人により所有されていた。1636年にカプチン姉妹の修道院が建てられ、1837年に壊された後、広場や市場ができた。市場はその後移転したが、広場の周りには宿やレストランが建ち並んでいる。広場の中心には、荷を担ぐロバの銅像がある。
グラナダの街の中心に建つグラナダ大聖堂(Catedral de la Encarnación de Granada)は、カテドラルと愛称され、スペイン・ルネサンス建築の傑作とみなされている。1492年のグラナダ陥落後、モスク跡にイサベル女王の命により1518年から建設が開始され、181年後に完成した。ゴシック様式を基礎に、装飾にはアラブ的なムデハル様式を折衷的に用い、ルネサンス風に意匠の統一もなされた。設計段階ではこのファサードの両脇に高さ81mの塔が建つ予定だったが、財政的な理由などで左側の塔一つとなった。右脇にはサグラリオ教会が造られた。
聖堂内はとても明るく、ドームの複雑なデザインや大きなフレスコ画、ステンドグラスの窓や黄金に彩られた主祭壇などに圧倒されるという。普段なら見学できる時間帯なのだが、行事があるとのことで残念ながら中には入れなかった。
建物の外を回って行くと、砂利で模様を象った一角を見つけた。右奥の紋章は、1492年以降のカトリック両王の紋章と思われる。
カテドラルとつながっている王室礼拝堂(Capilla Real)には、女王イサベル1世とその夫フェルナンドの墓がある。また聖具室にはイサベル女王の収集品が収められていて、女王の王冠や王笏、フェルナンド王の剣などがある。また、16〜18世紀のイタリア、スペインなどの画家達の作品もあるという。
大聖堂の外壁には何やら文字が描かれているのだが、落書きなのかどうかはわからない。
大聖堂はそれこそグラナダの中心にあるのだが、周りに大きな広場がなく、全体像が掴みにくい。遠くに離れて行くと、ようやくドームの屋根が見えてくる。