半坪ビオトープの日記

グラナダ、カテドラル(大聖堂)

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グラナダの宿、オスタル

夕方に着いたグラナダの宿もホテルではなく、安宿のオスタルに予約してあった。オスタル(Hostal)とは、ホテルよりも経済的な宿で、家族経営が多く、マークは「H」の中に小さく「s」が書き込まれている。路地に立ち並ぶ住宅街にあることが多いが、看板類がなく見つけるのは難しい。

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サンチョ・パンサドン・キホーテ

中に入ると、オーナーの骨董趣味に驚かされた。エントランスのあちこちに甲冑や彫像や骨董家具の類が陳列されていた。これはサンチョ・パンサドン・キホーテの彫像。

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重装騎兵姿

こちらのスペースには、中世の騎士達の武具が展示されている。甲冑(鎧兜)が最も重装備となった「猟犬面バシネット(ハウンスカル)」の兜に、完成形ともいわれる「プレート・アーマー(板金鎧)」を身につけ、全身を金属の甲冑で覆った重装騎兵姿は、16世紀になって銃撃戦が戦闘を決定するようになると、急速に姿を消し、儀礼用および装飾用となったといわれる。壁には中世の騎士が剣とセットで用いていた重厚な「カイト・シールド(凧型盾)」が掛けられていた。

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ロマニラ(Romanilla)広場

スペイン南部にあるグラナダは、ローマ時代に起源を持つ歴史ある都市で、1236年にコルドバキリスト教徒に奪回されてからは、ナスル朝グラナダ王国の首都となり、イベリア半島におけるイスラム最後の砦として繁栄を極めた。そして1492年のグラナダ陥落まで2世紀半にわたり、レコンキスタの暴風に晒されながら、終末の宴ともいうべきアルハンブラ宮殿を築き、そこに華燭の炎を燃え上がらせた。宿からカテドラルに向かうと、近くのロマニラ(Romanilla)広場から鐘楼が見える。

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ロバの銅像

このロマニラ広場一帯は、17世紀初めにはジェノヴァの商人により所有されていた。1636年にカプチン姉妹の修道院が建てられ、1837年に壊された後、広場や市場ができた。市場はその後移転したが、広場の周りには宿やレストランが建ち並んでいる。広場の中心には、荷を担ぐロバの銅像がある。

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グラナダ大聖堂(カテドラル)

グラナダの街の中心に建つグラナダ大聖堂(Catedral de la Encarnación de Granada)は、カテドラルと愛称され、スペイン・ルネサンス建築の傑作とみなされている。1492年のグラナダ陥落後、モスク跡にイサベル女王の命により1518年から建設が開始され、181年後に完成した。ゴシック様式を基礎に、装飾にはアラブ的なムデハル様式を折衷的に用い、ルネサンス風に意匠の統一もなされた。設計段階ではこのファサードの両脇に高さ81mの塔が建つ予定だったが、財政的な理由などで左側の塔一つとなった。右脇にはサグラリオ教会が造られた。

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カテドラルのファサード

聖堂内はとても明るく、ドームの複雑なデザインや大きなフレスコ画、ステンドグラスの窓や黄金に彩られた主祭壇などに圧倒されるという。普段なら見学できる時間帯なのだが、行事があるとのことで残念ながら中には入れなかった。

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カトリック両王の紋章

建物の外を回って行くと、砂利で模様を象った一角を見つけた。右奥の紋章は、1492年以降のカトリック両王の紋章と思われる。

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王室礼拝堂

カテドラルとつながっている王室礼拝堂(Capilla Real)には、女王イサベル1世とその夫フェルナンドの墓がある。また聖具室にはイサベル女王の収集品が収められていて、女王の王冠や王笏、フェルナンド王の剣などがある。また、16〜18世紀のイタリア、スペインなどの画家達の作品もあるという。

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大聖堂の外壁

大聖堂の外壁には何やら文字が描かれているのだが、落書きなのかどうかはわからない。

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大聖堂のドーム

大聖堂はそれこそグラナダの中心にあるのだが、周りに大きな広場がなく、全体像が掴みにくい。遠くに離れて行くと、ようやくドームの屋根が見えてくる。

セビリアの夕食、フラメンコ、バチカン新年ミサ

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タパスの店「TAPAS MEZQUITA」

セビリアで大晦日を迎えたが、夕食は散歩がてらにサンタクルス街を歩いて、賑やかなタパスの店「TAPAS MEZQUITA」に入った。

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Pimentos asados

この野菜料理は、パプリカのマリネにツナが乗せられた、Pimentos asados。オーブンで焼いたパプリカをたっぷりのオリーブオイルに漬け込み、盛り付けた後にツナを乗せる。

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Pulpo a la Parrila

こちらのタコの料理は、Pulpo a la Parrila。網焼きのタコに、ポテト、シシトウ、アリオリソースを添えている。タコが信じられないくらい柔らかく美味しい。

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カタクチイワシ(anchoa)

こちらのタパスは、パンにサルモレッホ(salmorejo)ソースを塗り、カタクチイワシanchoa)をトッピングしている。Salmorejoとは、主にアンダルシア地方に伝わるトマトのクリーム状スープで、トマト、にんにく、食パン、お酢から作られる。

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アサリの漁師風(Almejas a la Marinera)

こちらの料理は、アサリの漁師風(Almejas a la Marinera)に小エビが付け足されている。どの料理も代表的なスペイン料理といえるもので、この上なく美味しい。

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フラメンコ「ロス・ガリョス」

ビゼーのオペラ「カルメン」や「セビリアの理髪師」の舞台として知られるセビリアは、フラメンコの本場であるが、大晦日ともなるとどこの劇場も正月気分で休場となる。たまたま老舗の「ロス・ガリョス」だけが予約を受け付けていたので、早めに予約を取ることができた。

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「ロス・ガリョス」の舞台

サンタクルス広場の一角にある「ロス・ガリョス」は、1966年創業という老舗のタブラオだが、舞台も小さく客席もぎゅう詰めにして100席ぐらい。予約は入場のみなので、開演前にたくさん店先に客が集まっている。店内は撮影禁止なのでパンフの切り抜きを載せる。

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フラメンコのショー

数人の踊り手と歌い手が入れ替わりながら演じて行くが、会場の雰囲気はだんだん盛り上がっていくので、舞台に釘付けになって1時間半のショーは歓喜の中であっという間に終演を迎える。

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ローマ・バチカンでの新年ミサ

2019年の元旦はここ、セビリアで迎えた。午前中はほとんどの店が閉まっていたけれども、運良く近くの店でハムサンドを食べることができた。テレビでは、ローマ・バチカンでの新年の祝賀ミサの様子が映し出されていた。毎年、サン・ピエトロ大聖堂で盛大に行われている。

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第266代ローマ法王

現在の第266ローマ法王は、アルゼンチン出身のフランシスコで、就任は2013年3月。12億人の信者を持つローマ・カトリック教会の最高司祭である。日本での報道は一般に法王と呼ぶが、日本のカトリック教会は、「教皇」の名で統一している。

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法王の新年メッセージ

法王の新年メッセージは、毎年「世界平和の日」となっていて、今年で52回を数える 。

セビリアのランチ、黄金の塔、フラメンコ博物館

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ヒルハムコロッケ

セルビアのランチは、大聖堂の裏手、郵便局の角を左に回り込んだところにある、レストラン:ベリンシュ(Berrinche)を選んだ。スペイン料理には、生ハムに魚や肉を混ぜたクリームコロッケがあるが、これはアヒルとイベリコ豚のハムを使った、アヒルハムコロッケ(Croquetas de mousse de pato con jamón)。実に美味しい。

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サーモンロール

こちらのタパスは、サーモンロール。クリームチーズとエビが入っている。

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牛肉のカレー風味煮込み

こちらは牛肉のカレー風味煮込み。マッシュポテトの上に乗っている。

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黄金の塔

救済病院の南西、グアダルキビル川の東岸に、正十二角形の塔が建っている。かつては塔の上部が金色の陶器レンガで輝いていたため、黄金の塔(Torre del Oro)と呼ばれている。13世紀初めに川の通行を検問するため造られ、対岸にあった八角形の銀色の塔との間に鎖をかけて侵入船を防いでいた。現在は海洋博物館として、船の模型や海図などが展示されている。

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フラメンコ舞踊博物館

スペインの中でも特にフラメンコの本場とされるセビリアには、フラメンコ舞踊博物館(Museo del Baile Flamenco)がある。フラメンコ界の大御所、クリスティーナ・オヨス(Cristina Hoyos)が設立した博物館。

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フラメンコの衣装や楽器

1階はフラメンコのシアターで、こじんまりとしたステージを囲むように100席ほどの座席がある。2階はフラメンコの歴史と概要、フラメンコで着られる衣装や演奏に使用される楽器が展示してある。

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3階のギャラリー

3階はギャラリーのようになっていて、モダンなデザインのアートや楽器を見ることができる。

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サン・イルデフォンソ教会

こちらはサン・イルデフォンソ教会(San Ildefonso)。聖イルデフォンソは、7世紀のトレドの大司教で、その後その地の守護聖人となった。「聖母マリアの純潔処女性」を記したことと、8世紀における異端との闘争で知られる。

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サン・イシドロ教会

フラメンコ博物館のすぐ北に、サン・イシドロ教会(Parroquia San Isidoro)がある。6〜7世紀にセビリア大司教を務めた、イシドロ(イシドールス)を祀っているゴシック様式の教会である。マドリードにもサン・イシドロ教会があるが、そちらはIsidroと綴る12世紀の農民で、マドリード守護聖人になった別人である。

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サンタ・マリア・デ・ヘスス修道院

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主祭壇

このサンタ・マリア・デ・ヘスス修道院(Convento Santa Maria de Jesús)は、16世紀に建てられた。

主な祭壇画は、17世紀末にアセンブラクリストバルデ・グアディクスにより制作された。

セビリア、救済病院

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救済病院入口

セビリア大聖堂の南西、郵便局の裏手に瀟洒な建物がある。救済病院(Hospital de la Caridad)という。有名な放蕩児ドン・ファンのモデルとされるセビリアの貴族ミゲル・デ・マニャーラ(Miguel de Man~ara)が1664年に、貧しい人や身寄りのない人を救済するために創設した病院である。設計はセビリアの建築家:ペドロ・サンチェス・ファルコネテによる。

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パティオ(中庭)

風変わりな入口から中に入ると、パティオ(中庭)には十字架を背にした彫刻のある噴水がある。そのパティオの周りを、白とオレンジ色を基調とした特色ある建物が取り囲んでいる。

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「十字架を運ぶイエス

壁には青白の陶器による17世紀のタイルによって「十字架を運ぶイエス」などの題材が描き出され、キリスト教会らしい光景が広がる。

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スルバラン「イエス磔刑

救済病院に付属する教会があるというより、公開されているのはもっぱら教会なので、あちらこちらに祭壇画が展示されている。これはスルバランの「イエス磔刑(1652)」である。

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ミゲル・デ・マニャーラの銅像

建物の合間の小庭には、救済病院の創設者ミゲル・デ・マニャーラの銅像が高くそびえている。

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主祭壇の祭壇画「キリスト磔刑

教会内部の主祭壇には、祭壇画「キリスト磔刑」の下に立体的な彩色彫刻が施されている。

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下の彫刻、ペドロ・ロルダン作「キリストの埋葬」

下の彫刻は、セビリア生まれの彫刻家:ペドロ・ロルダン(Pedro Roldan)作の「キリストの埋葬」。よく見ると、キリストの左手に、頭にターバンを巻いたアラビア系の人がいる。

 

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小さな天使たち

祭壇全体を小さな天使たちが健気に力一杯背負っている。

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ムリーリョ「サンペドロの解放」と「ハンガリーの聖イサベル」

上の絵は、ムリーリョの「サンペドロの解放」。下の絵は、ムリーリョの「ハンガリーの聖イサベル(Santa Isabel de Hungría)」。

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バルデス・レアル 「世の栄光の終末」

この絵は、セビリア出身の画家:バルデス・レアル の「世の栄光の終末(Finis Gloriae Mundi)」。バルデス・レアル (Juan de Valdes Leal)は、1660年、ムリーリョとともにアカデミーを開設したが、性格、作品ともに両者は対照をなす。マネから「画家の中の画家」と絶賛され、「生の悲劇的感情」の表現様式としてのスペイン・バロック絵画を代表する画家である。

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バルデス・レアル「束の間の命」

この絵は、バルデス・レアルの「束の間の命(In Ictu Oculi)」。彼は、美よりも表現性を尊び、「残酷なまでのレアリスム」を追求したといわれる。

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ムリーリョ「アブラハムと3人の天使」と「病人を運ぶサン・ファン・デ・ディオス」

上の絵は、ムリーリョの「アブラハムと3人の天使」。下の絵は、ムリーリョの「病人を運ぶサン・ファン・デ・ディオス(1672)」。ムリーリョは、19世紀末にベラスケスが再評価されるまで、国内外でスペイン最大の画家として名を馳せていた。

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ムリーリョ「放蕩息子の帰還」と「受胎告知」

上の絵は、ムリーリョの「放蕩息子の帰還」。下の絵は、ムリーリョの「受胎告知」。ムリーリョは、マリア礼賛が異常な高揚期を見せた時代に、スペイン民衆の心を捉えた宗教画家といわれる。

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ムリーリョ「麻痺の治癒」、ペドロ・ロルダンとベルナルド・シモン「受難の中のキリスト」

上の絵は、ムリーリョの「麻痺の治癒」。ムリーリョは、17世紀中期から後半にかけて活躍したセビリア派の巨匠で、作品の多くは宗教画だが、総数は約300点が確認されている。

下の彫刻は、救済病院の創設者ミゲル・デ・マニャーラが、ペドロ・ロルダンとベルナルド・シモン(Bernardo Simón de Pineda)に依頼して作成された「受難の中のキリスト(Retablo del Santo Cristo de la Caridad)」。

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ムリーリョ「岩山から水を噴出させるモーセ

この絵は、ムリーリョの「岩山から水を噴出させるモーセ(Moises hace brotar agua de la roca)」。このように宗教画には、旧約聖書から題材を取ることが圧倒的に多い。

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ムリーリョ「パンと魚の繁殖」

こちらは、ムリーリョの「パンと魚の繁殖」。残念ながらこれら作品の多くは、本物が美術館に移されて、レプリカとなっている。

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ベルナルド・シモン作「慈悲の聖母」

こちらは、彫刻家:ベルナルド・シモン作の「慈悲の聖母(Retablo Virgen de la Caridad)」。

セビリア大聖堂聖具室

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聖体顕示台

聖具室、銀製の聖体顕示台、その左手で球を持ち上げているのは、ペドロ・ロルダン作のフェルナンド3世像。ペドロ・ロルダン(Pedro Roldan)は、セビリア生まれの彫刻家である。

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「十字架降下」

中央祭壇には、ペドロ・デ・カンパーニャ作の「十字架降下」が掲げられている。

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スルバラン作「サンタ・テレサ

中央祭壇の右手には、スルバラン作の「サンタ・テレサ」が掲げられている。フランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbaran)は、スペイン南西部出身で主にセビリアで活躍したバロック期の画家。17世紀前半に教会と修道院のために宗教画で活躍し、激しい明暗対比と写実描写の作品で人気を博したが、ムリーリョの出現で時代遅れとみなされるようになった。

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ムリーリョ作「無原罪の御宿り」

参事会室は、楕円形の形をしたルネサンス様式の部屋で、クーポラ部分の中央にムリーリョ作の「無原罪の御宿り」が飾られている。エステバン・ムリーリョ(Bartolome Esteban Perez Murillo)は、セビリアの民間医師の14番目の末っ子として生まれ、幼い頃に両親を亡くし、姉夫婦に育てられた。5人の子供をペスト等で亡くし、6人目の娘も耳が聞こえなかったため、その娘を思い最高傑作の「無原罪の御宿り」を何枚か残している。

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聖具室の財宝

聖具室には色々な財宝が展示されている。一番右の金細工品は、フランス国王ルイス・フェリペより19世紀半ばに寄贈されたものである。左の2点は18世紀に寄贈されたものである。

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「イエスの礫刑」像と「マリア」像

こちらの祭壇でも、上に掲げられている「イエスの礫刑」像よりも、「マリア」像の方が中心にあって、より重要視されている様子が読み取れる。

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様々な聖体顕示台

こちらは様々な形をした聖体顕示台。聖具室入口にあった巨大な銀製の聖体顕示台は別格で、普通はこの程度の大きさである。聖体行列や公開での聖体の礼拝を行うときに、聖体を納めて顕示するために作られた祭具である。放射状の太陽光線を模した形は、キリストの変容のときに輝いた顔、さらに正義の太陽であるキリストを象るものとされている。

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ムリーリョ作「サン・アントニオ・デ・パドヴァの幻想」

北西の一角にある小さなサン・アントニオ礼拝堂には、スペインを代表するセビリア出身の画家・ムリーリョ作の「サン・アントニオ・デ・パドヴァの幻想(1656)」がある。

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皇帝チャールズ5世が着用したコート

これは1520年10月23日にアーヘンで行われた戴冠式で、皇帝チャールズ5世が着用したコート。

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聖歌隊席の背後の障壁

ここは聖歌隊席の背後の障壁で、向こう側の聖歌隊席の最奥上部に、黄金色の木製祭壇衝立の頂点にある「イエスの礫刑」像と明るい天井が眺められる。

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ヒラルダの塔

大聖堂内を見学した後、北側にあるオレンジの中庭に出ると、ヒラルダの塔が高く聳えている。イスラム時代のミナレットを土台に、キリスト教の鐘楼を継ぎ足して造られたので、土台部分は二連アーチ窓やアラベスク模様が施され、塔の上部はルネサンス様式となっている。上ることができる塔の内部は、階段ではなく螺旋状になっているが、これは当時、馬に乗ったままで駆け上がれるようにしたためといわれる。

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翼廊のファサード「受胎の門」

ヒラルダの塔の左手には、翼廊のファサード「受胎の門」が見える。ゴシック様式の重厚な装飾がきめ細かに施されている。最後はモスク時代の名残である馬蹄形アーチの「免罪の門」から退出する。

セビリア大聖堂内

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セビリア大聖堂

セビリア大聖堂内に入ると、その広大さに驚かされる。柱の数は28本。中央部の天井も高く、天井付近のステンドグラスも小さく見える。天窓から差し込む光で、天井付近が黄金色に輝いていて、それも厳粛さを増している。

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コロンブスの墓

堂内に入ってすぐ右手にはコロンブスの墓がある。墓とはいうが、コロンブスの柩であって、当時スペインを構成していたレオン、カスティーリャ、ナバーラ、アラゴンの四人の国王が担いでいる。前列右側の国王が槍でザクロ(グラナダの紋章)を突き刺しているが、これはグラナダの陥落でレコンキスタが完了したことを表している。背景の絵は、旅行者の守護聖人といわれる聖クリストフォロスである。

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コロンブスの墓

クリストファー・コロンブスChristpher Columbus)は、イタリアのジェノバ生まれの航海者で、アメリカ新大陸の発見者として知られる。スペイン名はクリストバル・コロン(Cristobal Colón)。ポルトガルに移住後、地理学者トスカネリの説に触発され、西回り航路でインドに到達する計画を立て、スペイン女王・イサベル1世の後援を得て1492年8月、3隻の船でパロス港を出発。1012日、現在のバハマ諸島の一つ、グアナハニ島に到着、サンサルバドル島と名付けた。その後の航海でドミニカやトリニダードにも到達したが、統治能力を批判されて、晩年は富も名誉も失い不遇のまま54歳で没した。死ぬまで発見地をインドの一部であると信じていた。

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コロンブスの墓

コロンブスが1506年、スペインで病没した後、遺骨は植民地等各地を転々としたが、この豪壮な墓碑はスペインで鋳造されて1898年にキューバに送られたもの。だが、数カ月でスペイン・アメリカ戦争が起き、スペインが敗北。

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コロンブスの柩の裏

そこで墓碑はスペインに戻され、セビリアの大聖堂に葬られたという。棺の中の遺骨が本物かどうかは諸説ある。それはともかく、メキシコ、ペルーで銀鉱山が発見され、スペインが一躍ヨーロッパで最強の国となったのは、コロンブスの死後半世紀ほど経ってからであった。16〜17世紀には、全ヨーロッパの供給量の1/5に当たる18万トンの黄金と、160万トンの銀がセビリアを経由してヨーロッパ各地に流れ込んだという。

柩の裏面にはスペインの紋章が描かれている。

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カトリック世界最大の木製祭壇衝立

聖歌隊席に向かい合って内陣(Capilla Mayor)があり、仕切り格子の先に黄金色の大きな木製祭壇が見える。高さ20m、幅13mもあり、カトリックで世界最大と称される。イエス聖母マリアの生涯が45場面に分けられ、ゴシック・フランボワイヤン様式でマリアとイエスを中心に1000体を超える彫刻群で構成されている。この木製レタベル(祭壇衝立)は、1482年から1525年にかけて制作され、その後、金3トンの金箔が施されたという。

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「イエスの礫刑」と「ピエタ

木製祭壇衝立の頂点には「イエスの礫刑」像があり、その下には十字架から降ろされたイエスを抱く聖母マリア、いわゆる「ピエタ」が配されている。マリアの左右には12使徒がいる。

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マリア像

格子の間から木製祭壇衝立をよくみると、下部中央に鎮座するのはマリア像である。元々アンダルシア地方は4世紀頃からマリア信仰が根強く、このセビリア大聖堂内にはマリア像が圧倒的に多くある。

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聖歌隊

内陣の向かいに聖歌隊席(Coro)がある。聖歌隊席というが、実際は高位聖職者たちが祈りを捧げるための祈祷席である。マルダーハウル・スタイルの聖歌隊席は117席あり、高価なマホガニー材で作られ、細かな浮き彫り彫刻が施されている。中央奥にはイエスとマリアの絵画に挟まれた豪壮な司教席がある。西ファサードのバラ窓の上に見える身廊の天井は黄金色に輝いている。

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パイプオルガン

聖歌隊席にある巨大なオルガンのパイプは、全部で7500本あり、長いものは10mにもなるという。

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銀の祭壇

コロンブスの墓から後方を振り返ると、北の翼廊には大きな銀の祭壇(Alter de plata)が鎮座している。巨大な王冠や聖母マリア像、聖人イシドロ像などが配された豪華絢爛な祭壇であり、全体で2.5トンの銀が使われているという。銀の祭壇上部には「イエスの復活」と思われる、円形のステンドグラスが嵌め込まれている。

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聖杯の礼拝堂

聖杯の礼拝堂には宗教画と聖杯のコレクションが展示されている。主祭壇には「イエスの礫刑」像が掲げられている。

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「イエスの礫刑」

 

セビリア大聖堂内

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セビリア大聖堂

セビリア大聖堂内に入ると、その広大さに驚かされる。柱の数は28本。中央部の天井も高く、天井付近のステンドグラスも小さく見える。天窓から差し込む光で、天井付近が黄金色に輝いていて、それも厳粛さを増している。

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コロンブスの墓

堂内に入ってすぐ右手にはコロンブスの墓がある。墓とはいうが、コロンブスの柩であって、当時スペインを構成していたレオン、カスティーリャ、ナバーラ、アラゴンの四人の国王が担いでいる。前列右側の国王が槍でザクロ(グラナダの紋章)を突き刺しているが、これはグラナダの陥落でレコンキスタが完了したことを表している。背景の絵は、旅行者の守護聖人といわれる聖クリストフォロスである。

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コロンブスの墓

クリストファー・コロンブスChristpher Columbus)は、イタリアのジェノバ生まれの航海者で、アメリカ新大陸の発見者として知られる。スペイン名はクリストバル・コロン(Cristobal Colón)。ポルトガルに移住後、地理学者トスカネリの説に触発され、西回り航路でインドに到達する計画を立て、スペイン女王・イサベル1世の後援を得て1492年8月、3隻の船でパロス港を出発。1012日、現在のバハマ諸島の一つ、グアナハニ島に到着、サンサルバドル島と名付けた。その後の航海でドミニカやトリニダードにも到達したが、統治能力を批判されて、晩年は富も名誉も失い不遇のまま54歳で没した。死ぬまで発見地をインドの一部であると信じていた。

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コロンブスの墓

コロンブスが1506年、スペインで病没した後、遺骨は植民地等各地を転々としたが、この豪壮な墓碑はスペインで鋳造されて1898年にキューバに送られたもの。だが、数カ月でスペイン・アメリカ戦争が起き、スペインが敗北。

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コロンブスの柩の裏

そこで墓碑はスペインに戻され、セビリアの大聖堂に葬られたという。棺の中の遺骨が本物かどうかは諸説ある。それはともかく、メキシコ、ペルーで銀鉱山が発見され、スペインが一躍ヨーロッパで最強の国となったのは、コロンブスの死後半世紀ほど経ってからであった。16〜17世紀には、全ヨーロッパの供給量の1/5に当たる18万トンの黄金と、160万トンの銀がセビリアを経由してヨーロッパ各地に流れ込んだという。

柩の裏面にはスペインの紋章が描かれている。

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カトリック世界最大の木製祭壇衝立

聖歌隊席に向かい合って内陣(Capilla Mayor)があり、仕切り格子の先に黄金色の大きな木製祭壇が見える。高さ20m、幅13mもあり、カトリックで世界最大と称される。イエス聖母マリアの生涯が45場面に分けられ、ゴシック・フランボワイヤン様式でマリアとイエスを中心に1000体を超える彫刻群で構成されている。この木製レタベル(祭壇衝立)は、1482年から1525年にかけて制作され、その後、金3トンの金箔が施されたという。

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「イエスの礫刑」と「ピエタ

木製祭壇衝立の頂点には「イエスの礫刑」像があり、その下には十字架から降ろされたイエスを抱く聖母マリア、いわゆる「ピエタ」が配されている。マリアの左右には12使徒がいる。

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マリア像

格子の間から木製祭壇衝立をよくみると、下部中央に鎮座するのはマリア像である。元々アンダルシア地方は4世紀頃からマリア信仰が根強く、このセビリア大聖堂内にはマリア像が圧倒的に多くある。

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聖歌隊

内陣の向かいに聖歌隊席(Coro)がある。聖歌隊席というが、実際は高位聖職者たちが祈りを捧げるための祈祷席である。マルダーハウル・スタイルの聖歌隊席は117席あり、高価なマホガニー材で作られ、細かな浮き彫り彫刻が施されている。中央奥にはイエスとマリアの絵画に挟まれた豪壮な司教席がある。西ファサードのバラ窓の上に見える身廊の天井は黄金色に輝いている。

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パイプオルガン

聖歌隊席にある巨大なオルガンのパイプは、全部で7500本あり、長いものは10mにもなるという。

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銀の祭壇

コロンブスの墓から後方を振り返ると、北の翼廊には大きな銀の祭壇(Alter de plata)が鎮座している。巨大な王冠や聖母マリア像、聖人イシドロ像などが配された豪華絢爛な祭壇であり、全体で2.5トンの銀が使われているという。銀の祭壇上部には「イエスの復活」と思われる、円形のステンドグラスが嵌め込まれている。

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聖杯の礼拝堂

聖杯の礼拝堂には宗教画と聖杯のコレクションが展示されている。主祭壇には「イエスの礫刑」像が掲げられている。

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「イエスの礫刑」

こちらの壁にも「イエスの礫刑」の祭壇画が掲げられている。